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自分の下では働きたくない、と思ったあの日から


「優秀な働き手ではあると思う。
 よく気がつくし、
 頭の回転速いし作るものの品質も一定高い。」

「ある程度、全体を見られるし、
 他部署との調整も適宜やっているし
 そこそこ何でもできて、使い勝手が良い。」


「でも。
 ーーーーーーーー。」



「この人の下で働くんだったら、

 ・・・自分は、会社辞めるなぁ~~~。」





3年前、
他でもない、自分から自分に対する、
評価がそれだった。

そのくらい、
自分のリーダー像には幻滅していた。




鬱屈


会社の中で「肩書なしの最上位」まで来て、
数年。ランク内での査定もだんだん
上り詰めていることを知っている。

そろそろ、
ポジションを狙いたいとも思っていた。

でも、
今の自分のままでは絶対にダメだ、という、
確信めいた、絶望に似たような、強い思いもあった。


「誰がお前なんかについていくか。」


自分で自分に、本気で、そう思う。

当然、すごく嫌な気持ちだった。




学ぶ


学ぶことは格好悪いと思っていた。

いや、技術や、スキルや、考え方や、
何を学んだって、良いんだけど。

リーダーとしての振る舞い方、って、
学んで身につけるようなことなのかどうか、
に、戸惑いがあった。

でも、

教わらないと私はできない。


小学校でも、
中学・高校でも、
リーダーシップ、カリスマ性を持った
同級生というのがいた。
自然と、ついていきたいと思えた。

自分はそういう人たちとは違う。
よくわかっている。

学んで、身につくようなことなのか。

天賦の才の差ではないのか。


でも、
できないし、

できるようになりたい。


それで、学びに行った。
コーチングを教えてくれる塾だった。

そこのコーチは、人を操る(?)のが
とても上手に見えた。
実際、企業で実績を持っていた、というのも
私にとっては、大きかった。


「幸せに、成果を出したい。」

そこに共感した。



知る


その塾では、明確に、
良いリーダー、
良くないリーダー、
というのを価値観として打ち出していた。

そして、
彼らの価値観における
良いリーダー、良くないリーダーが、
何をどう捉えて、どう見て、どう解釈して、
どう振る舞っているのか、
ということを

まずは知識として知った。


私は当たり前のように、
いっぱい「良くないリーダー」に
当てはまっていて、

そんな自分が恥ずかしかったし、

「そんな ”いい人” な考え方、できるか!」
とも思う反面、

「あぁ!それだ!ほしかったやつだ!!」
 (自分もそう思えるようになりたい!)

とも、思えた。


ビリーフチェンジ(思い込みを外す方法)も
理屈としてはわかった。
自然な対話の中でそれを導いて行けるスキルとして
どこまでモノにできたかは、わからないけれど。

セルフコーチングを覚えたことも大きかった。

対話の中で人の気づきが生まれる過程は
とても面白かった。

ひたすら人の話を聞き続けることを
「面白い!」と心底思った。


自分自身と、仲間のために、毎週、
Zoomでコーチングの練習会を企画した。


結局、
「見ず知らずの人とゼロから関係を構築して
 コーチングをする」
というレベルにはいかなかったが、

自分自身であったり、
そもそも積極的に自分と向き合うつもりのある、
自らコーチングを活用するつもりのある人であれば

気づきを引き出す対話は
たくさん、経験することができた。




モノの見方が変わる


その塾で学んだ3~4ヶ月を振り返った時、
私の中で一番大きかったのは、

現実を「問題だ」と思わなくなったこと、 だった。


それまでのわたしは、ずっと、
問題を探していた。

仕事上ではそれはある意味で「飯の種」だった。

あら捜しをしているつもりもない。
ただ、目につく問題を
「じゃぁ改善しましょう♪」という活動を
するだけだ。

組織なんて、無限に問題がある。
そういう目で見れば。

「本来はこうした方が良いけど
 手が回ってないこと」なんて、
私の業務のざっと10年分くらい、軽くあるのだ。

そして、組織だけではなく。

世界も同じだ。


それまでの私は、

本を読むときにも、
「今の私はここがダメだから、
 こういう本を読んで、直さなきゃ」
と思っていた。

塾へ来た理由も
「リーダー失格の自分を
 直したかった」
からだった 笑

すべてにおいて
マイナスから出発して、
それを改善するために、という思考が強かった。

この世界は、マイナスだらけだと思っていた。


でも「世界をそう見ていた」のは、ただ、自分だった。

「問題がある」と「思っているのは、自分」だったのだ。


以前の自分は自分が何かを指摘して
「それが問題なの?」と聞かれたら、

ものすごく、腹が立っていた。

「バカにしてるの?」
「当たり前じゃない、見えないの?」
くらいに思っていた。


でも、今はわかる。

何を問題として扱うかを、私たちは、選ぶことができる。





恐ろしく、素晴らしい、チカラ


塾を終えてから、別の場所でも学んで、

腑に落ちた。



私たちは、ものすごいチカラを、持っている。


それは、
「人は扱われたようになる」
という、影響力だ。

多分、人だけじゃない。

世界もそうだと思う。

「世界は、扱われたようになる」

「世界は、見られたような姿になる」


私が、この世界を、どう見るか。
どんな世界だと、表面の思いではなくて
深層心理で、思っているのか。


私が、一緒に働く人達を、
素晴らしい人だと思うのか、
ダメな人だと思うのか。

それは、
イマイチ仕事のできない人を
無理して「素晴らしい人だと思う」ということとは
全く違っていて。
いや、紙一重なんだけれど、
ちょっと違っていて。

無理せずにそう言える「目」を養っていく、とでも、
いえばよいか。
心の底で、その人をどう扱っているか。


それが、世界に現れる。

あなたの目に写っているもののすべては、
それが、都合の良い真実だろうが
不都合な真実だろうが、

あなたの自我にはお構いなく、

あなたの内面が作り出している世界に、他ならない。




いつでも変われる


人は、一瞬で変わることがある。

本気で変わろうとするのであれば、
なんとかなる。


私は、この世界は、すごくやさしいんだなぁって思っていて
自分自身も、隣の人も、向こうの人も、
みんな、そうか、すっごい、愛のかたまりだったんだなぁ、もともと、
って、思えるようになってきた。


すごく、世界が面白いし、楽しい。

一緒に世界を遊べる仲間がいっぱいほしい。


そんなつもりで、講座を作る。


仮にカリキュラムは決めたけど、
まだ、「大事なことが入ってない」気がする。


私の持ってる知識、考え方、ワーク、練習、
全部、お渡ししたい〜!


まだまだ、練っていこう♪



もし、私の作る講座に
ご興味を持っていただけたら。


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ではまた〜〜〜!

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