見出し画像

人生30歳までと思って生きてきた私が31歳に!さて、どうなる人生の第二ステージ。

2020年1月6日、31歳を迎えました。
朝、子どもたちを見送った後は、求人原稿制作×2本、新規取引先との面談、チラシ作成2案など、モクモクと仕事に取り組む1日でした。
夕方からは子どもたちと戦いごっこを2回ほど(笑)
唯一?自分へのごほうびといえば、面談した企業さんとの仕事が決まったこと!
今月からさっそく仕事開始お願いしますとのことで、嬉しい限りです。

さて、今回は、表題にある「人生30歳までと思って生きてきた」ということについて書きたいと思います。

◆「人生30歳まで」ってどういうこと?

病気かなにかですか?と聞かれることもありますが、いたって健康体です。
ひと言でいうと、「生き方の指針」というところでしょうか。

さかのぼること10年ちょっと。中学生くらいのころに「死」について考える機会がありました。
「人って死んだらどうなるんだろう」
から始まり、
「死んだら自分の人生がいいものだったかどうかなんてわからない」
「有名人や著名人ならともかく、一般人が死んだところで、偲んでくれる人は少ない」
「自分の人生を振り返る機会なんてない」
などの思いがめぐり……考え抜いた結果、

「自分の人生は●●歳までと決めて、それまでをがむしゃらに生きてみよう」
「その歳を超えて、それまでの人生を振り返ったときに、“いい人生だった”と思えば、きっと、その後もいい人生を送れるだろう」

という思想にいたりました。

年齢設定については、当時15歳くらいだったので、「20歳じゃ若すぎる」「40歳は想像がつかない」という感じで「30歳」に決めたんだと思います。

いま思うとなかなか突拍子もない考え方ですが、「人生は30歳まで。それまではなんでもやる」という1本の軸ができたおかげで、前向きに人生を歩めている気がします。

◆実際に、30年間の人生を振り返ってみた

31歳を迎えたいま、30歳までの人生を振り返ってみて、どうだったかと言えば、おおむね良好な人生だったのではと。

学生時代は、親や教師の言う道には沿いつつも、できる限り自分の行きたい場所を選んでいました。
高校は普通科に行ったら?というのを情報ビジネス科にしたり、大学は国公立に行けと言われたので、推薦で行けるところを探したり。
AO入試で大学を目指したのですが、AO入試を受ける人自体が少ない学校だったので前例がほとんどなく、合格を伝えに行ったら、担任の先生から「本当に受かるとは思わんかった」と号泣して喜ばれました(笑)
大学3年くらいからバイトに精を出しすぎて、扶養を超えて怒られたり、大学4年時には、貯めたお金で専門学校(Wスクール)に通って、デザインやエディットを学んだり、就職活動はのんびりめで、大学4年の11月に内定したり。
いま振り返っても、学生時代はかなり謳歌していたと思います。

新卒入社したのは、リクルートの代理店。
営業を3年間ほど経験しました。
そのころは、子どもは欲しいけれど結婚願望はなく、求人業界の面白さにのめり込んで、仕事大好きという時期でした。
社会人2年目くらいから余裕が出てきて、夜飲みに出歩いたり、いろんな人と交流したり。
そんなときに、夫と出会い、付き合いだして半年でプロポーズされ婚約。
婚約してすぐ子どもを授かり、寿退社という形で、正社員生活を終えました。

24歳で結婚、25歳で長男出産。
15歳のころ考えた人生計画にはないできごとでした(笑)
結婚後すぐは、「これでは30歳までにやりたいことができない?!」とも一瞬思いましたが、夫との結婚の際に「結婚してるからとか、母親だからとかって諦めずに、好きなことには実直であり続けよう」と約束していたおかげで、「結婚しているのによく動くよね」「子どもがいるのにフットワーク軽いよね」と言われるくらい、好きなことを諦めることなく過ごせています。

ただ、子どもが1歳を過ぎたころから、「働きたい欲」がフツフツと湧き上がりはじめました。

「子どものこの可愛い時期を一緒に過ごしたいけれど、働きたいぞーー!」

そこではじめたのが、在宅での業務請負の仕事でした。
クラウドソーシングを使ったり、経験を活かして求人広告や販促広告制作の仕事に応募したり。
最初は月2~3万円からスタートし、徐々に月6万くらいのペースに。
ちょっと慣れてきたころに次男を出産し、また数万円から再スタート。

28歳の4月には、在宅ワークの収入にプラスできればと、リモートワーカーが集う制作会社でパート勤務をはじめました。
ライティングやディレクション業務に携わらせていただき、いまの仕事にもだいぶ生きています。
このころには月10~15万円ほどの収入(パート5~6万+業務請負6~8万)に。

業務請負先も少しずつ増えてきて、「フリーになろう」と決心し、29歳になる年に、開業届を出しました
それから1年はパートと業務委託の2本柱だったのですが、パート先の上司と話し、パートで任されていた仕事も業務請負に変更し、30歳少し前に完全フリーランス1本に

そしていまに至る――という感じです。

◆結婚しても子育てしてても、仕事も趣味も諦めない人生に

仕事が好きなので、後半は仕事のことばかり書いてしまいましたが、それくらい、いまの私の中心は仕事なんだなと。

でもほかにも、楽しんでいることはたくさん。
大学時代からはじめたよさこいは今も続けており、結婚してからも、2015年・2017年・2018年は高知よさこいに出てたり、東京まで練習に通ったり。
毎年必ず1つ以上のお祭りには出るようにしています。

子どもたちと出かけることも好きで、毎年一緒に15都道府県くらいを旅行しています。
2019年は長男5歳と2人でアメリカ旅行にも。(私も初めての海外でしたw)

いまのスタイルがちょうどいいかなと思っているので、
次のステージは

「仕事を中心に、子育ても趣味も楽しむ」

をモットーに生きていこうかなと思います。

※ちなみに人生の第二ステージは50歳まで!(下の子が大学卒業する年くらい)第三ステージが80歳まで、第四ステージが100歳までだと考えています。

====

ここまでお読みいただきありがとうございます。

子どものころは30歳の自分なんて想像つきませんでした。
正直、周りに流されやすい正確なので、自分で選んできたとかいいながら、人との縁やそのときの状況に左右されながらの人生だったと思います。
それでも、いまこうやってポジティブに前を向いていられるので、「人生●●歳まで」と決めて生きるのは悪くないもんだなと思っている私でした。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?