見出し画像

自分を好きになる

先日ストーリーにも載せたこの質問。
「自分のことが好きですか?」
答えていただいたみなさんありがとうございました。
結果は、はい60%いいえ40%くらいでした。

この質問って私にとってはすごく難しくて、
はいかいいえで答えられないなっていうのが正直なところです。
はいって声を大きくして言い切れない。
でも、いいえを選択する自分も嫌だったり
曖昧な答えで回答したい質問です。

答えていただいた方の中には
100%で「はい」あるいは「いいえ」
だったり、

迷って、そして、希望を込めての「はい」
どちらかを選ぶのであれば、、の「いいえ」
だったりと、
色々だったんじゃないかなと
勝手に予想しています。


最近の自分の中の課題が
"自分のことを好きなる"。

自分を肯定していくってことなのかな。

せっかくならポジティブなことを発信したいし、残したいと思ってるので、
SNSやカフェを通して私を見ている人にどう映っているかは分からないけど、
私は自己肯定感が低いと思ってます。

特に1番近くで私を見ているJamesは
それをよく知っています。


もちろん調子がいい時もあるけど
自分に自信がなくて些細なことで自己嫌悪に陥ったり、
私なんか、、と口にしたり。

性格的な部分もあると思うけど、自分を大好き!っていう自分がしっくりこないし、想像しにくい。
少し自信がないくらいがちょうどいいんじゃないかなと思ったりさえします。

そんな私がもっと
自分のことを認めてあげたい、
自己肯定感を高めたい。

ってちゃんと考え出した時に
久しぶりに引っ張り出した私のバイブルとなってる大好きな本。

平野啓一郎さんの
"私とは何か 個人から分人へ"

画像1

何度も読み返している本なのですが、
その一部分の考え方が
頭の中にふっと出てきたので、
先日久々に読み返していました。

この本には本当にびっくりするほど
しっくりくる考えが詰まっていて、
頷いて頷いて、、
ずっと揺れているんじゃないかっていう状態です。笑

みなさんににその考え方をシェアできたらいいなと思って
インスタに書こうと思ったら前置きでこんなに長くなってしまったので
noteにしてみました。

ーーーーーーーーーーーーーー


まずはタイトルにもある
この聞き慣れない"分人"という考え方から。

簡単に説明すると、
今までは"個人"が最小単位だから本当の自分はひとりという考え方でした。

それに対して、
【一人の人間の中には、複数の分人が存在している。両親との分人、恋人との分人、親友との分人、職場での分人、......あなたという人間は、これらの分人の集合体である。】


たった一つの 本当の自分なんて 存在せず、
対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である、っていう考え方。

それらは必ずしも同じじゃないけど、全部本当の自分だよってこと。

でもキャラを演じ分けてる訳じゃなくて、
コミュニケーションは他者との共同作業だから、会話の内容や口調、すべて相互作用の中で自然に生まれていくってこと。


八方美人や、裏表がある
なんてことばもありますが
これも個人という考え方だから存在するのであって、
分人の考え方だと
ただ関わる人によって分人が変わるだけで
全部が全部自分なんです。

そして、
今から7.8年前
20代前半の時に読んだとある他の本でも
似たような表現をしていて、今
でも心に残っているものがあります。

その本の中で

人は"球体"
だと。

ある人には南西の方を見せていて
またある人の前では
北北東を見せているかもしれない。

でも人は球体だから見せている面が違っても
それは一つの球体、
全部自分だよっていう内容でした。

なんだか目の前が明るくなった気分になったのをよく覚えています☺︎


さ、前置きが長くなりましたが
「私とは何か 個人から分人へ」

この中で分人という考え方を用いて

自分を好きになる方法

というテーマがありました。

自分のことを好きになれない、
嫌いとすら思っている人を前に
自分のことも好きになって!って言ったところでそう簡単に好きになんてなれません。


平野さんは
【自分という人間の全体を漠然と考えるのを止めて、分人単位で考えてみるとどうだろうか】と書いています。


例えば
Aさんといる時の自分は明るくいられて、ジョークを言えたりもできる

Bさんと一緒にいる時は真面目になる。でも充実感がある

Cさんといる自分はなんかイマイチ話も弾まなくて、肩が凝るしイマイチ


【人は、なかなか、自分の全部が好きだとは言えない。
しかし、誰それといる時の自分(分人)は好きだとは言えるのではないだろうか?
逆に、別の誰それといる時の自分は嫌いだとも。そうして、もし、好きな分人が一つでも二つでもあれば、そこを足場に生きていけばいい。】


これです。この文章です。
目を見開きました。
しっくりきました。

うん、自分のことを好きとは言えないけど
Jamesといる時の自分は好き
と、胸を張って言える。

あ、これって自分を肯定していく入り口なんだ。。ってすごく感動したんです。

平野さんはこのことについて、
【生きた人間でなくてもかまわない。】と
おっしゃっています。

例えば私で言えば、
・好きな音楽を聴いて酔いしれて浸ってる時の自分は好き 笑
・美味しいものを食べてハッピーでいられている時の自分は好き

・お店でゆったり紅茶やコーヒーを淹れている自分は好き

とかとか。

自分全体ではなくとも
〜している時、誰それといる時の自分は、、と考えていくと
好きって言えることが増えるんです。

以前、私は保育士、ベビーシッターなど子どもと関わる仕事をしていましたが、
本当に幸せな仕事でした。

今この内容に当てはめると、
あ、私は子どもと関わっている時の自分がすごく好きだったなって思い出しました。

子どもたちに対して、
こう思われたらどうしようとか
余計なことを考えずに、純粋無垢な心に触れながら、自然に、本当の自分で関われていたな。

そういう時の自分が好きだったんだ、と


そう考えているとあら不思議。(なんか古い?笑)
自然と自分を肯定していけてませんか?
肯定できるようになると
あ、好きって言えるようになるかもっていう
トンネルの向こう側が見えるような気にも。


【誰かといる時の分人が好き、という考え方は、必ず一度、他者を経由している。
自分を愛するためには、他社の存在が不可欠だという、その逆説こそが、分人主義の自己肯定の最も重要な点である】

これを読んで、
自分を愛さないと人のことも愛せない、っていうよく聞く表現がしっくりこなかった理由がはっきりしました。


自分の中に複数存在する分人、
その中で好きな分人が一つずつ増えていくなら、その分私たちは自分に肯定的になれる。


とてつもなく大きな軸となる考え方を
与えてもらいました。

平野さんのことばの引用が多くなりましたが、
私はこの考え方で人間関係のことや、
自分という存在について
新しい視点で考えられるようになって
ずいぶん生きやすくなった気がしています。


自分が好きですか?
に対して
いいえと答えたみなさん、

そしてはいと答えたけれども、たまにそう思えなくなる時がくるみなさん、

この考え方で少しでも自分を肯定して
生きやすくなっていけばいいなと思います♡


平野さんのこの本には、
その他にも


一人でいる時の私は誰?
悩みの半分は他人のせい
他者もまた分人の集合体
分人と嫉妬
愛する人を失った時の悲しみ
なぜ人を殺してはならないのか

など分人主義という考えを通して
様々なことに触れています。


私が紹介した内容はほんの一部なので
今日の内容が響いた方には、ぜひ読んでいただきたい一冊です。



私はまだ自分を好き!と自信を持って言い切れないけど、幸せですか?と聞かれれれば
はい と自信を持って答えられます。

私が自分を肯定できるきっかけになっている環境、そして沢山の人たちに感謝して、、♡


そして最後に。

Northfieldsが誰かが自分を好きになる足掛かりになれればいいなと強く思いました。

お茶してのんびり過ごしてる時の自分が好きだなぁ、ってところから♡


読んでくださりありがとうございました!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?