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6月は傘でも差しながら

6月がスタート。1日目、雨、そしてやっぱり月曜日。梅雨も近く感じる。

コロナの時代を生きているという感じがもうだいぶ浸透してきた。新しい日常、新しい生活様式、ニューノーマル、様々な言葉が登場したけど、いったいどういうものなのか、わかるようでわからない。

街の様子も徐々に戻りはじめた。みんなマスクをして控えめに動いているように見える中、子どもがとりわけ元気だ。制服の学生も見かけた。学校もやっと今日からスタート、というところも。

先日、美容院に行くため自転車で遠出した。といっても時間にして30分ほど。天気の良い日だったので気持ちが良かった。かれこれ地下鉄やバスには3ヶ月ほど乗らずに過ごせている。生活は意外とできるものだ。

この3ヶ月くらい、とにかくいろいろ作っているので、なんだか毎日いい意味で忙しい。それでいて自分のペースで居られる、いい状態。お菓子作り、スープ作り、ミント栽培、趣味が増えて楽しくなった。一から作ってみる、一から育ててみる、ということが楽しい。確かに手間、なのだけど、それを体感することで、感覚的なものが活きてくるのでむしろ楽しい。いろんなことがスルーされずに、身になっている感じ。

趣味的なものの一方、本命の音楽もコツコツやっている。ある意味、今は制作期間。曲作り。ライブはこれまでと同じようにやれる日は、しばらく先だろうと思っている。野外のイベントは今のところ全て中止だし、室内のライブ日程も控えてはいるけど、密にならないような策を講じることになるだろう。ニュースでは、歌手もマスクをして歌う、観客は2メートルの間隔をあけて立つ、座る、などといっていた。どんな空間かにもよるだろうけど。明らかに、観る方も演じる方もライブの臨場感は薄れる。かなしいな。

満員電車はOKで、ライブハウスはNG、なんておかしい、という指摘には頷く。

随分とイメージが傷つけられ、ダメージを受けているライブの世界。その空間で見たステージも夢も、私は忘れたくないしこれからも消したくない。誰かの生き様を消したくないし、そもそもそれは消されるべきではない。今こそ心の叫びを表現!という時なのだけど、できないのが辛いな。このジレンマを耐え抜いて、私も私でいられるように、できることをする。

曲作り、歌うこと

曲作りは、他のどの「作る」より難しいな、と改めて思う今日この頃。

正解がないこと。見えないこと。まるで彫刻を掘っているみたいだなと前から思っている。何ができるかわからないところから、あたかも何か見ているように、想像しながら、探り、形作っていくプロセス。

歌詞が出てこないときは、カフェに行ったり、散歩に行ったり、場所を変えてアイデアをふやかすことが多かったけど、コロナ時代の今はピアノの前やデスクの前でうーん、て模索することが多い。

そんな感じで産みの苦しみが大半なのだけど、なんだかんだ、楽しい。

うまくハマったときなんかは、来たなって。

6月も、曲と向き合っていこう。そして、歌える時に、思いっきり歌いたい。


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ヴィシソワーズを先日作った。本物を食べたことがあったかどうか定かでないのだけど、とりあえず、美味しかった。


新しい日常、という不思議な日々を、歩こう。

6月は傘でも差しながら。


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