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人混みから考える人生の目的。

沖縄県は桜が早い。

神奈川で生まれ育った私は、つい先日ママ友に「ここは梅より桜が早いんだよ。」と言われて、「考えてみればそういう事か。」と本州との違いを再認識した。梅雨入りも梅雨明けも早いので、去年は「ゴールデンウィーク前の梅仕事」に乗り遅れないように梅を入手して梅干しを作った。

梅干しは「梅雨の間に梅を漬けて、梅雨が明けたらその梅たちを天日に干す」と完成する。
めちゃくちゃ簡単なので是非とも、安心!安全!無添加!梅干し作りオススメしたい!っと言いつつ私も去年初めて作りました。(笑)

沖縄では、手仕事、風習、言葉も違う。

他にもいろいろ違いすぎて、毎日のように新しい発見がある。未だに近所のオジーのうちなーぐち(沖縄弁)は異国語にしか聞こえない。娘たちも今日、近所のオジーに話しかけられたらしく、「何言ってるかわからなかったー!わっはっはー!」と帰ってきた。私は、もはやこれは聞き取れるようになれる自信は無い。

そして先週末の話。

近くの山では桜の見頃を迎えた。ちなみに気温は20度ぐらい。太陽が出ていれば体感温度は高く、半袖でもOK。普段は静かな、わがやの周りも各地から桜をみに、たくさんの人がやってきた。

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下3人とお庭でお花見。
(長女は友達とハイキングへ。)

週末になると増える車の多さに、ちょっと嫌だなと家に引きこもっている。人々が桜を愛でて幸せな気分になることは素晴らしいことなのに、この心にできるモヤっと感。。うう。。

そういえば「紅葉の時期に京都に行っても、人人人で楽しめないよ!」と言われたことがある。(事実、京都を訪れる日本人観光客は減少しているらしい。)

ここの桜もそうだなぁ。

コロナのおかげもあってか、リモートワークが流行ってきたとはいえ、週末、昼過ぎの激混み具合を見ると、まだまだ普及していないんじゃないかと思ってしまう。そういえば、土日にスーパーも行かなくなったなぁ。

「もっと分散すればいいのに。」

これ、いつも思う。

特に夫に出会ってから「同じところに行くなら、安い時期にお得に行きたい。」「そうしましょう!」という家族の行動パターンが出来上がった。旅ですら学校があろうが、休んで行くスタイルになった。

しょっちゅう家族都合で休みまくり、転校も繰り返しているが、長女は今のところ問題なく学校生活を送っている。次女もマイペースに楽しんでいる。

基本的に家族で行く旅は、目的も決めない、時間にも縛られないゆったりスタイルなので、臨機応変に動ける。だから「うっわ!人多い!楽しめない!」みたいなことにはならない。

しかし私たちも去年、カラフルなランタンで有名なベトナム、ホイアンいう街で、なんじゃこりゃーーーーー!という人混みに遭遇し、これはオーバーツーリズムじゃないのか?!というような体験をした。

オーバーツーリズム(Overtourism)とは日本語一言で表現することは難しいですが、観光地が耐えられる以上の観光客が押し寄せる状態(過剰な混雑)のことを指します。引用元: https://japanworldlink.jp/inbound-words/overtourism/

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こんな素敵な写真も撮れたが、本物の感動からは程遠い環境で撮られた。

夕飯を食べて、ぐるっとまわって、夜遅くまで滞在してたので、それなりに楽しめたけれど、それでもやっぱり心残りがある。次回はゆっくりと訪れて街並みを知りたい。

他にも、タイ南部プーケットからアプローチするピピ島周辺。レオナルドディカプリオ主演映画、ザビーチのロケ地になったピピレイ島のマヤベイは、オーバーツーリズムからの環境保全の観点から、すでに閉鎖されていて、私たちは沖からしか見れずビーチには上陸できなかった。それでもピピ島周辺は天国だった。

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事実、ピピドン島のビーチの上で家族でゴロゴロするだけの10日間を過ごした。(なにもしないの極み)

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閉鎖する前はこんな感じだったらしい。
( BBCThailand's Maya Bay: 'You think you're in Times Square' - BBC News )

最近の気づきとして、日本人に限らず、人間っていうのは、結構おんなじ行動をとるんだなぁ。と感じることが多くなった。私も例外に漏れず、インスタで気になったお店に足を運んだりするのだから何も変わらない。

しかし、家族でのんびり何ヶ月単位で旅をするようになってから「私が人生で、なにがなんでもやりたいことってなんだろう?」「どんな人生を送ったら私は満足するのだろう?」そんなことをよく考える。

もちろん海外移住の夢は常にあるから、流れが来たら迷わず乗るつもりだけど、「自然の中で、のんびり家族が健康に時間を過ごせていたら、それでいい。それがいい。」と本当に思っているところがある。そしてそれはもうすでに達成されているんじゃないか?と感じている。

昔、イタリアのカプリ島の青の洞窟を訪れた時、現地で働いてる日本人ガイドさんが「私は観光客が帰った後、のんびり泳ぐことがあるけど、やっぱりそれが最高。」と言っていたのを思い出す。

そう、それね。

もう、これよね。

心も体も魂も解放される瞬間って本当にあって、私は地球の自然に放たれている時に強くそれを感じる。

そしてそんな状態に、たくさん身を置ける今の生活は、私にとっては、人生クリアなのだ。

人生の目的ってなんだろう。

私は、幸せを感じていたい。

のんびりと時間を使い、ゴロゴロゴロゴロして、美味しいご飯を食べて、お喋りがしたい。旅に出た時は、現地の空気を吸い、会話したり、試したりしながら、異文化を全身で感じたい。

もちろんお金を稼がないと生きていけないのだけど、お金を稼ぐことは人生の目的ではない。

目的を見失ってはいけない。

私は人混みが苦手だけど、幸せを感じるために桜を愛でたい。実はもう2週間以上、毎朝、山の中の桜道をドライブしている。そんな風に少し工夫をすれば、心の充実度は比較にならないほど上がる。

目指すべき本来の人生の目的に焦点を当てて物事を考えていく。

私はアドラーが好きで、目的論ベースに子育ても人生も展開していきたいと思っている。目的論がわからない人は目的論、原因論、などで検索をかければわかりやすく説明している人がいると思う。(丸投げw)

これをたまーに見失ってしまって、ちっぽけなことにイライライライラしてしまう。そんな時は、自然の中でボーっとして、今生きている喜びに焦点を当てる。

桜を愛でながら、そんなことを思ったのでありました。