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逃げるは恥だが役に立つ。

前回書いてからもう1か月経ってしまうなんて。無事に入籍を済ませたと思ったら、怒涛の事務手続きが勢いよく襲ってきて、名前が変わったり退職したり環境の変化にあっぷあっぷしてしまった。
でもそんな波に飲まれながらも二人暮らしは楽しいので、毎日あっという間に過ぎて更新もせず今に至る。という言い訳。

逃げるは恥だが役に立つ。
言い訳からのこの言葉じゃなんとも情けない感じだ。でも、私の今までの人生を振り返るとまあこの言葉の通りだし、実際この言葉すごくいいと思うんだ。知ったのは皆さんご存知のドラマですけども。
このドラマは本当に大好きで、何がいいか語りだしたらもう一本書けそうなくらい好きなところがたくさんあるのだけど、今回はことわざとしてのこの言葉から思うことを書こうと思う。

この言葉、ドラマや漫画を観ていた方はご存知だと思うのだが、もともとはハンガリーのことわざだそうだ。
逃げるは恥だが役に立つ。いいですよね。本当にその通りだと思う。
ドラマの中で星野源演じる平匡さんが「後ろ向きな選択だっていいじゃないか。恥ずかしい逃げ方だとしても生き抜くことの方が大切で、その点においては異論も反論も認めない」みたいなセリフをいうシーンがあって、全わたしが同意したし、今までの「逃げ」に対しても優しい気持ちになれた気がしたんだ。

わたしのこれまでは逃げの連続だ。逃げるといっても何か大きな危機とか危険とかではなくて、学校の授業とか小さな嫌なことから。子供ながらにそういう知恵がよく働いたなと感心してしまうくらいに。
例えば私は体育が大嫌いな子供だった。週末に配られる学級だよりで来週の学習の予定の体育の欄を観て既に学校行きたくないが始まっていたし、体育がある日の前日は必ず明日学校休むと母に泣きついていた。自分の子供に週3で学校行きたくないと泣かれるのは相当しんどいと思う。
それでも容赦なく月曜はやってきた。家と学校が世界の全てのような子供にはどうすることもできない。体育だってそう何回も休むわけにはいかないし。そこでわたしは考える。やってる風にみせかけてやらないためにはどうすればいいのか。先生の目を盗む、プリントを書き換える、友達と話をしながらしれっと終わった人の方に入る…などなど色んな姑息な技を駆使して数々の危機をかいぐぐってきた。

こんなわたしをどうしようもない奴だとお思いの方も多いと思う。何事も挑戦が大事とか、人生において逃げ癖がつくとか。わかる。でもそんなことは全部承知の上なのだ。それに、大人になって夢だったCAになれたし、まあ普通に暮らせているのであまり心配はいらないと思う。
高校生の頃雑誌で、当時まだ全然有名ではなかったマツコデラックスが書いたコラムを読んだ。そこには、世界が360度あるとしたら学生の頃見ている世界なんて30度くらいのもんなのよ。だからこれから社会に出たらもっと広い世界が広がっている。的なことが書いてあって、当時の私はかなり救われた。学生にとって学校は世界のほぼ全てだ。だけど外に出ればもっと違う景色が広がっている。
わたしは大人になって本当にそうだと思うから、何か嫌なことがあってもそれが全てだと思わないでほしいし、たまには逃げてもいいじゃないか。無責任だけど、嫌なこととかつらいことにずっと囚われて生活とか心身とかがむしばまれていく方がもったいない。ごまかしたり、楽な方に逃げたとしても大丈夫。本当に逃げちゃだめだって思うときは自分でもわかる。

CAになれたわたしは初期訓練を受けたのだけど、そこで同期4人中一人だけうまくいかなかった。条件付きの合格という形で3か月教官が経過を観察してその後晴れて独り立ち。のはずが、3か月経っても技量が満たないという判断で、もう一度訓練を受けなおすことを提案された。
座学はトップだったし、一人だけ合格できない恥ずかしさと悔しさでわたしの小さなプライドが折れた。もうこれ以上はできないので辞めますと言って訓練を辞退してしまった。
寛大な会社だったので考える時間をくれたのだけど、わたしはまた逃げてしまうなあとか、親になんて言おうとか、これからの生活どうしようとかぐるぐる考えていた。何をする気も起きなくて、廃人とはこういうことかと実感した。


結果を言うとわたしは上司に頭を下げて、もう一度訓練を受けなおした。再訓練は単に知識や技術の面だけでなく、わたしの精神面までアプローチする訓練だった。自分の弱いところ、黒い感情も含めて洗いざらい書き起こして、教官は責めることなくひとつひとつ受け止めて対策を考えてくれた。みんな楽しそうにフライトしている片隅でひたすら机に座って自分自身と向き合うのはとても辛かったので、毎日、今日行って無理だと思ったら辞めようと思いながら通った。だけど毎日オフィスにいるから他部署の人とも仲良くなってきて、さらに自分の傾向やミスをしやすい状況、対策の引き出しがわかってきた。

3か月後、わたしは晴れて合格して独り立ちすることができた。それからの仕事は毎日楽しくて、挫折しても逃げなかった経験が自信となった。ありのままの自分が、責任を持ってちゃんと立っていられることが嬉しくてたまらなかった。この会社がわたしのCA生活の初めてで本当に恵まれていたと思う。
だけど、逃げなかったのは自分の力だけじゃないのだ。廃人期間、CAの先輩やパイロットの人、同期、とにかくたくさんの人から励ましの連絡をもらった。会社に行っていなくても外に連れ出してくれた先輩たちもいて、わたしが頑張れたのは周りの人たちのおかげだ。

逃げるは恥だが役に立つ。調べたらこのことわざは「自分の戦う場所を選べ」という意味だった。まさしく。今いる場所がだめなら環境を変えよう。ここがだめだから次もだめとか、どこに行ってもやっていけないとか、そんなことはない。場所が変われば人が変わる。環境も変わる。困難があってもここで戦いたい、そう思えるところは必ずある。

それを信条に、わたしは結婚してから始めたパートをもう辞める気でいる。
長い言い訳。

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