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心の闇は悪なのか

日本人の多くは闇をけ嫌いする。

また、自分を闇側と決めつけて光を取り戻そうとする人も少ない。

これが私には不思議で仕方なかったのだが最近少しだけわかったことがある。

それは、自分に対処する自信がない時、人は闇を見て見ぬ振りし、光だけをみていようとするということだ。

少し前の私がそうだったから間違いない。(突き放して傷つけてしまった人たちがいます。ごめんなさい。)

また社会の構造も光側だけを歩く人とそうでない人のように2分が激しいが、そもそも光と闇というのは、一人一人が持っているものであって、光だけになっている人も、闇だけになっている人も、どちらも病んでいると言っていいのではないかと最近思う。

「病む」というと、闇側を想像してしまうが、私はその解釈を最近改めた。

「病んでいる」というのは、想定される範囲からはみ出した状態のことをさすのだと気がついた。

つまり、人間の情緒というのは潮の満ち引きと同じように、暗くなることもあれば明るい時もあり、その波形の振れ幅というか、それがある範囲を肥えて上下に触れることが、病んでいる状態であるということだ。

そう考えると、私は今の日本の社会が、やっぱり結構病んでいる気がして仕方ない。

ものすごく頑張って過剰に前向きになる人と、自分にはできないと嘆き悲しみ何もしない人、この2極化こそ、精神病でいう躁鬱状態と酷似している気がしてしまうのだ。

私はこの不自然な状態には、必ず自然の力が働いて、何か調和をとらせるような動きが発生する気がしている。(と言うか、今がすでにそうなのか)

少し話は飛ぶのだが、そもそも、光は闇があるから価値があり、闇は光を受容するもののような気がして、私は最近闇にこそロマンを感じたりしている。

大事なことほど闇の中にヒントがあったりするし、闇を扱えるってすごい力を与えてもらっているということなんじゃと思う。

ただ、闇に染まったり、光を敵のように感じる性質のものは好きではないが。そうではなく、全てを包み込む0地点のような感覚で、闇のかっこよさに最近魅せられている。


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