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感謝は成功の道具なの?!

『感謝する』  この行為が私はすごく好きです。

そこには必ず笑顔が生まれるし、自分の心もものすごく気持ちが良くなります。

けれども最近、感謝を道具として使用する人が増えている気がしてしまって、時折私は寂しくなることがあるのです。

成功者は言う、「感謝が大事」と。

社会的に成功された方のインタビューや本などでほぼ必ずと言っていいほど現れる言葉、それが”感謝”だと思います。

ほぼ全ての方が間違いなく、”みんなのおかげ”と言っています。

正直私は、「本当かよ」と思う時の方が多い人間です。
そんな状況で、よく感謝とか言えるなと、私だったら絶対嫌だわと、これが成功者との違いか!ワッハッハ!なんて思ってしまったりするタイプです。

一方、そんな私に対して、「やっぱり感謝が大事なんだよ。何事も感謝して」なんて声をかけてくる人もいます。

けれども私は思うわけです。それってなんか不自然だなって。

『何事にも感謝する』その行為が持つ本当の意味

かつての私は、”何事も感謝って。私は人間だから無理だね。”なんて皮肉を漏らすタイプでしたが、今だからわかることがあります。

それは、成功者の多くの皆さんは、本当の意味で感謝しているのだろうと言うことです。

あるいは、本当の意味で感謝することができたから、結果的に成功者になり、結果的に”感謝が大事”となっているのだろうと言うことです。

ここノートでも何度も書いていますが、私は家庭への大きな悩みを抱えていた人間です。それを乗り越えるのに30年以上かかりました。

しかし乗り越えてみて今思うこと、それは、どんなに苦しいと思う状況でも、与えられているものがあり、それに気がついた時、心から感謝ができるということです。

ここで同じ誤解を生まないためにもう少し詳しく書きます。

厳密には私は乗り越えるのに32年ほどかかっています。

しかし、本当の意味で乗り越える過程を過ごせたのは最後の2年だと思います。

その前の30年は一体なんだったんだと思ったりするわけですが、今ではその違いが明確にわかります。

それは、自分に嘘をついていたかついていないかの違いです。

30歳を迎えるころまで、私は上でも述べているように、皮肉を漏らすタイプの人間でした。自分に嘘もつけません。

しかしながら心のどこかで、周囲の”何事にも感謝”に影響を受け、”感謝できない自分てダメなやつなのかな”と自分を責めていたのです。

けれどもある時吹っ切れて、「知るか!感謝できないものはやっぱりできん!」と思ったところから私の歯車は廻り出しました。

私はある時、「感謝などしてやるか!」と逆に心に誓ったのです。



だってその時の私というのは、色々なものに嫌気がさしていたんです。

あらゆる全てが嫌だったんです。

何もかもが嫌いだったんです。

だからもう、「感謝なんてできるかーーーー!!!!」って、誰になんと言われようが、自分に正直でいることを自分に許したんです。

社会の仕組みなどク●食らえと思って、会社からの電話を全部無視したりしてました。何かの支払いの請求がきても「今私は誰にもお金を支払いたくないのだ!」と無視したり(その後ちゃんと支払ってます。汗)、街がクリスマスカラー一色になっても、「セレブレイトしたい日を社会のルールで勝手に決めるな!私はそういう気分じゃない!」と無視してジムで汗を流したり(「クリスマスなのにいいんですか?」と言いたげなトレーナーさんの心配する眼差しは今でも忘れません。)、とにかくやりたい放題やってやりました。

ちなみに義父の職場に直接メールして、「母親に私にもう連絡させないで」とお願いしたのもこのころです。それまで言っても理解されないことを知っていたので、自分の思いを主張することは諦めて適当に受け流していたのですが、「なんでこんなにこっちばかり我慢せないかんのじゃ」と思ったから、思いの丈だけ全て一方的にラインしてあとはブロックもしてやりました。

それからです。少しずつ少しずつ、心が勝手に感謝に向かって動き出したのは。

と言っても30年ため込んだものがあります。だから全てが解消するのに2年近くかかりました。

最初は怒りでいっぱいで、次に悲しみが襲ってきて、そのあと心は無になって、涙が枯れたころ卑屈になっている自分に気づいて、卑屈をやめると決めてから、少しずつ本当の意味で、自分に与えられているものを感じ取れるようになって、、、

『感謝するって、こういうことなんだ』

そう、附におちる瞬間がありました。

だから今の私は思うのです。

感謝することの本当の意味、それは、自分に与えられているものに本当の意味で気付き、受け取れることの有り難さを理解しているということだと。

感謝を道具にしちゃう時、あなたの心は泣いている

だから感謝とは、自分に嘘までついてするものではなく、心から”有難し”と感じられるまで、自分と正直に向き合うことが大事なのだと思います。

嫌なら嫌で、それでいい。

大事なのはそこからで、なぜ自分は嫌なのか、どうだったら満足するのか、自分の心が納得するまで、自分と向き合うことだと思うのです。

またたまに「感謝されたい」と願う人に出会います。

正直「おやおや」と思っちゃうのですが、その願いの裏側には、”自分の存在を認めて欲しい””自分はここにいていいのだと許して欲しい”という気持ちが隠れているのだと、最近気がつくようになりました。

ただ残念ながら、自分でその本当の気持ちに気づいて受け止めてあげない限り、本当に欲しいものは手に入ることはまずないのだろうとも思います。

あなたが、あなたの心の隙間に気がついて、大事に温めてあげない限り、その思いは解消しないのだと思います。

『見返りを求めない素直な感謝』

これができなくなっている時、それはあなたの心がSOSを出しているということだから、まずは自分の心と、じっくり向き合ってあげて欲しいと思います。

不自然な感謝をしたところで、きっと本当に大切なものは何も手に入らないんだと思います。



心が素直な感謝を取り戻すこと、これが一番、大切なことではないでしょうか。

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