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自責思考の落とし穴

いつからか「自責」という言葉をよく耳にするようになった。たぶん社会に出てからだと思う。

うまくいかないことがあったとき、相手や環境のせいにするのではなく、その責任を自分に求める。それは、ネガティブな物事の再現性を確認し、人として成長し、より良い生き方をする上で大切な心掛けだろう。「人のせいにしてはいけない」というのは、全くもってその通りだと思う。

その一方で、全てを自分のせいにするのも違うと思っている。何でもかんでも「自分が悪い」という態度は、あらゆることを「人のせい」と捉えるのと根本的には変わらない。

仕事もプライベートも人対人で何かをする以上、片方が一方的に悪いなんてことはまずないわけで、9割自分が悪かったとしても、1割くらい相手にも否があるものだろう。(犯罪や事故は除く)

何より全ての責任を自分に求めることは、環境や人間関係、組織の不備を見逃すことにもなる。結局視野が狭くなる点において、自責も他責も行き過ぎれば同じこと。

なんとなく、自責思考をやや多め、他責思考をやや少なめくらいのバランスで持っておくのがちょうどいい気がしている。何か起きた時、自分の責任を問うスタンスをベースとして、同時に「とはいえ相手や環境はどうなのか」に意識を向けるイメージ。

その上で、自責と他責の思考バランスは状況に応じて変えればいい。相手を責めたくなる時は自責思考の比重を高めれば過度な責任転嫁を防げるし、自分を責めて精神がヤバくなりそうな時は他責思考を強めれば過剰に落ち込まずに済む。双方のスイッチをオンにしておくことは、自分を客観視する上でも有効だ。

大切なのは「自分のせい」と「相手のせい」を正しく見極めること。反省すべきは「自分のせい」の部分であって、何でもかんでも自分に責任を求めてはいけない。

ミスした時ほど、「とはいえここは相手が悪い」と考えるのは、自分の落ち度を棚に上げるようで気が引ける。それでも、自分の問題点と相手の問題点を見極め、反省したり謝ったりするポイントを線引きするのはものすごく大切だと思う。

特に、相手がこちらに対して敬意を持っていない時ほど、自責に偏ってはいけない。対話には最低限相手への敬意が必要であり、それがないのに向き合ったところで消耗するだけ。

なんなら悪意を持って接してきている時点で相手が悪いし、そんな相手に「自分が悪い」という態度で接してしまうと、相手の悪意を助長させることにもなりかねない。自分の落ち度を冷静に見極め、その点については反省し、あとは聞き流すくらいでいないと、心が壊れてしまう。

繰り返すが、人対人で何かをやる以上、100%どちらかが悪いなんてことはほとんどない。適度に自分のせいだし、適度に相手のせい。責任感が強くて真面目な人ほど、それを忘れないことが、健やかに生きる上で結構大事なんじゃないかと思っている。

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