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奈良の鹿とオーストラリアのカンガルーは似て非なるもの

奈良の繁華街、近鉄奈良駅へ。春日大社、奈良公園、東大寺を回る。中学校の修学旅行ぶり。現地には学生がたくさんいた。そういえば修学旅行や遠足はこんな時期に行われていたような気がする。

奈良にはなるほど鹿がたくさんいた。オーストラリアにも野生のカンガルーがたくさんいるスポットがあったなと思い出す。奈良の鹿と、オーストラリアのカンガルー。ほぼ立ち位置は同じだと思う。

奈良の鹿
シドニーのカンガルー

と思いきや、奈良出身の友人いわく、鹿は神様の使いであり、運転中に鹿を轢いたら罰金らしい。当然食べないし、近隣の酒場にも鹿肉はない。

一方、オーストラリアでは車がカンガルーをばんばん撥ねる。スーパーでカンガルー肉が売られているし、なんならお土産用のジャーキーまである。立ち位置は全く違った。

鹿の首はものすごく曲がる。中には体が硬い鹿もいるんだろうか。そしてX脚。頼りなく思ってしまうが、さぞかし健脚なんだろう。

幼稚園のころ、班の名前を決めるとき、執拗に「しか」と主張したことがあったなと思い出す。なぜ鹿だったのか。特別な思い出はないのだが。

東大寺近辺には、鹿せんべいをくわえ、ポッキーゲーム的な食べさせ方を試みる中学生男子がいた。本人の雰囲気や取り巻きを見る感じ、おそらく普段はパッとしないが修学旅行で浮かれているであろう男子だった。中学時代にイケてる男子より、パッとしない男子の方が15年後に輝くと思っているので、彼の未来に勝手に期待を抱くものの、やはり思春期の子は苦手。見ていられない。

一方、同じエリアで「〇〇って女子のこと下の名前で呼ぶの?」と話す中学生男子に遭遇し、前後の文脈はわからないがものすごく甘酸っぱい気持ちになってしまった。男子が女子を下の名前で呼ぶことが特別だった時代は確かにあった。そしてその時代は大学で幕を閉じる。

春日大社のあたりで、願い事が一つかなうというお寺に出会う。20代の頃、願い事がかなうという台湾の寺院で、本当に真剣に恋人がほしいと願ったことがある。帰国後まもなく願った通りの恋人ができたが、その人にはモラルがなかった。たしかにモラルは祈り忘れた。正確に願い事をする難しさを痛感したので、反省を生かして今回はシンプルな願い事。内容は内緒。

かの有名な奈良の大仏はすんごい大きい。中指が1メートルちょっと、頭の托鉢の粒は人の顔くらいの大きさらしい。全ては学生をアテンドするおじさんの説明を盗み聞きして仕入れた知識。大人になってからの方が修学旅行は楽しいだろうな。

近隣の飲み屋のスタッフさんは、若い女性2人。「京都の人が奈良なんて鹿しかいないと言っていた」と伝えたら「それはそう」と1ミリの反論もなし。

奈良の良いところは?と尋ねると、関西の中央に位置し、大阪京都兵庫にすぐ出れるとの答え。2人揃って「奈良以外に住むとして、大阪だけは絶対有り得ない」と言っていた。京都の人も似たようなことを言っていた。関西を一緒くたに考えがちだったが、ずいぶん違うのだと今回の放浪を通じてよくわかった。

お姉さんの一人は、奈良から出るつもりはないそう。奈良、良いところなんだなと思う。わたしは案外素直なので、「この人は奈良が好きなんだなぁ」と思えたら「いいところなんだなぁ」と簡単に思ってしまう。

お会計をして席を立ったら、足元になぜかアジが落ちていた。近くの水槽から飛び出てしまったのだろうか。店員のお姉さんたちと大変困惑する。このアジは狭い水槽から飛び出た冒険者なのか、はたまた食われるくらいなら自ら死んでやる精神の持ち主だったのか。

飲み屋のお姉さんたちにおすすめスポットを聞くもピンとこず、さて明日は何をしようかと、奈良出身のお友達に連絡をしたら即たくさんの情報を教えてくれた。良いやつ。彼もまた奈良のことが好きらしい。

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