noteを書くことで、自分を大きすぎず、小さすぎず見れるようになった
毎日noteを書くようになって、190日。
なにか意識していることがあるか?と言うと、
自分を大きすぎず、小さすぎず表現していくことかなと。
そして毎日noteを書くようになって、ニュートラル(中立的)な気持ちで、自分を見れているような感覚もあります。
そんなことを書いていければと。
自分を大きすぎず見ていくこと
ついつい、人に対して自分をちょっとでも良く見せたくなってしまう。
いっぱい勉強している感じや、いっぱい知識を持っている感じや、良い人な感じなどなど。
改めて、自分を大きすぎず、客観的に見ていくことって大切だなと思いました。
自分でノリツッコミ入れる感じですかね。
なんか良い人風に書いてしまってるなーと感じたときは、「それは偽善じゃないの?」とか、自分でツッコミ入れる。
そして、「自戒を込めて」なんて、一文を添えてしまったりします。私もできていないのに、できている風に見せちゃうのは嫌だなと。
基本的には自分に自信がないタイプなので、自分を大きすぎず見ることは、そんなに無いかなーとも思いつつ、たまに調子に乗っちゃうこともあると思うので。自戒を込めて。
分からないことは、「分からない」と言える人でありたいと思います。
これって、noteを書いているときに、自分を見つめられる時間を持てるからこそのメリットだなと思います。
素直でいる、謙虚でいる。
って、すごく抽象的なことなんですが、それをできる一つの手段として、noteを書くことがあるなと思います。
自分を小さすぎず見ていくこと
こちらの方が、私自身も含めて、日本社会ではあるあるだなと思います。
自分のことは良くわからないけど、誰かに対して「もっと自信を持っていいと思うのに、自分を小さく見ているのは、なんでだろう」と思うことはよくあります。
余計なお世話だとも思いつつ、日本の社会の仕組みが生み出していることだなと。特に女性には多いと感じます。
書くことによって、じょじょにではありますが、自分を小さすぎずに見ていくことができるようになりました。
自分のありのままの感情を受け止める。
書くことによって、「あ、意外とできているじゃん」ってことも、見える化できる。
なんか、自分で自分を励ましているような感じです。
なるべく、かっこつけずに素のままで書いていこうと思いつつ、公開するものなので、ネガティブな言葉よりポジティブな言葉を選ぶ傾向になります。
「どうせ無理」とか、「できない」とか、そういう言葉よりも「これから意識していきたい」とか「学んでいきたい」とか、そんな自分の小さな願望を言葉にしています。
言葉を積み重ねていくことで、思考ができていく。その意味でも自分を小さすぎず見ていくことは、この毎日noteを書いている積み重ねだなと。
毎日1,000文字とか1,500文字とか、書く文字量は決して多くない。これだけ毎日書いていても、文章スキルが右肩上がりで上がらないのもどうかなと思いつつ、なんだかんだ積み重ねは大事。
こうやって、たまに積み重ねてきたものを振り返ってみることで、できていることを見える化したり、毎日つづける価値をじんわり実感しています。
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