noteで「分かっちゃいるけど」を見える化して、幸せに気づける
いきなりですが、「分かっちゃいるけど」できないことって無いですか?
最近の私のnoteで、なんか口グセになっているなと思う言葉があって、それが、「分かっちゃいるけど」です。
なんでかと言うと、「分かっちゃいるけど」って、世の中にいっぱいあるんですよね。
・できる限り、ごきげんでいたい。
・子どもの個性を伸ばすように子育てしたい。
・イライラしたくない。
・自分の心を大切にしたい。
・できる限り、他人と比較したくない。
・承認欲求から逃れたい。
・本を読んだことを、自分の学びにつなげたい。
・毎日のちょっとした幸せを大事にしたい。
こんな感じでたくさん出てくるのですが、これらって、すべて「分かっちゃいる」けど、なかなかできないことなんですよね。
と同時に書いていて思ったのが、これらを解決する一歩としてnoteを書いているんだな、私。
その理由を今日は書いていきます。
できないのは、見えないから
なぜ、分かっちゃいるけど、できないのでしょうか?
時間が無いから?
やる気がないから?
本気になってないから?
色んな理由があると思いますが、そのひとつが見えないから。
よく「無意識の領域は95%くらいある」って話を聞くのですが、これって何かというと、人が見えているのは、ほんとにわずか5%なんですよね。
いわゆる氷山の一角。
「分かっちゃいるけど」と思っていることは、ほとんど見えていない。
この水面の中に埋もれてしまって見えてない部分を、いかに見えるようにしていくか?
このために、noteを書いている感じなんです。
たとえば、こちらのnote。
「言うことを聞きなさい」と子どもについ言っちゃうけど。というタイトルで書きました。
頭では、この言葉を言ってしまうのは良くないな、と分かっちゃいるけど、ついつい言っちゃう。
なんでそうなってしまうかを、あえてnoteに書いてみました。
こうやって見える化することで、自分の行動を、客観視できました。
言葉にして、見えるようにするプロセスが大切
「見える化」と言うと、その結果が大切にも思えるのですが、どちらかというとプロセスが大切だと思っています。
自分なりに言葉にしてみる。
これをやると、やらないでは大きな違い。
分かっちゃいることを、あえて言葉にしてみると、意外と分かってないものなので。(笑)
言葉を絞りだしながら、途中何を書いているのか良く分からなくなり迷走しながら、このプロセスを楽しめるのがnoteの良さ。
たとえキレイにまとまってなくても、論理的じゃなくって、自分の感情がダダ洩れだったとしても、それを言葉にしていくプロセスに意味がある。
どんな良さがあるかというと、
・自分の感情も含めて、客観視できる
・小さな幸せに気づける
・小さな感謝ができる
・心が整ってくる
そんな感じかなと。
小さな幸せに気づける
3月20日は、世界幸福デーだそうです。
どんな人が幸せか?
と考えたときに、小さな幸せに気づける人だと思います。
幸せとは、大成功を収めたり、大金持ちになったり、誰かと比べて自分の幸せを感じるものではない。
日々の小さな幸せに気づき、実感しながら、「満たされている」という感覚を持てるかどうか。
その意味で、私はnoteが役立っています。
卒園、卒業シーズンなので、こんなnoteを書いたことを思い出しました。
なにげなく息子が書いたこと。
「〇〇くんと〇〇くんと〇〇ちゃんとおわかれしたとき かなしかったけど だいじょうぶというきもちだった」
これまでだったら、スルーしちゃってたと思いますが、noteを書いてみて、ここから得られた気づきが見える化できたんですよね。
この息子の書いた言葉を見て、
1. 自分の気持ちに気づくこと
2. その気持ちにフタをしないこと
3. その気持ちを言葉にすること
の大切さを感じました。
自分の気持ちに気づかないようにして、見てみぬふりをしてしまったり、フタをしてしまったりするけど、それだと無意識にモヤモヤが残っている。
「自分を大切にする」「自分を受け止める」には、息子が教えてくれたステップが大事なんだなと気づきました。
今読み返して、「あー、書いていて良かったな」と思いました。
後から見返せるのも、見える化のメリットですよね。
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