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noteという正解のないアウトプットで鍛えられるもの

noteを毎日書くようになって、200日を超えました。

毎日じゃなくていいと思うんですが、でもnoteをつづけることは、やっぱり私にとって意味があること。

自分自身と向き合う時間が取れる。

考えていることを言葉にできる。

など、いろんな意味があるんですが、noteを書くことは、「正解のないアウトプット」だと思うんですよね。

私が受けてきた学校教育では、正解を求められてきました。漢字をちゃんと書けることや、数学の計算を解けること、暗記をすることなど。

「正解のないアウトプット」たとえば、プレゼンをすることや、作品をつくること、自分で考えたことをカタチにすることは、ほとんどしてこなかったと思います。

だから、noteを書くのは、毎日つづけるのは、私には結構しんどいんです。

でも、だからこそ、「noteを書く」という「正解のないアウトプット」を積み重ねることで鍛えられるものがある。

それを言語化しておこうと思います。

気づく力

「今日は何を書こう?」

正直ネタに困ります。

気づいたときにメモ帳にタイトルを書き留めておいたりしますが、それでも毎日ネタに困るし、noteを書こうと思って数時間固まっていることもよくあります。

でも、この産みの苦しみこそ、気づく力を養うことにつながるのかなと。

「noteを書くことで、何が鍛えられるのか?」

なにか「気づこう」と思っていて、アンテナを立てていると、気づくことがあるんですよね。

特別な日常を過ごしているわけじゃない、何気ない日常を過ごしているなかにも、気づくことはたくさんある。

でも意識しないと、なかなか気づけない。

私がアンバサダーをしている『シン・ニホン』という本で書かれていることで、特に好きなのが、これからはスポンジ力ではなく気づく力が大切だという点です。

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『シン・ニホン』の3章を読んで、イラスト化

教育の話に戻りますが、どうしても「覚える」ことに重点を置いて、教育を受けたきたんですよね。

これから、AI時代と言われるなか、人が本来持っている表現すること、表現するために「気づく力」が大切になってきます。逆を言うと、表現すること、アウトプットしてカタチにすることで、気づいたことを自覚することができます。

覚えることは誰にでもできるけど、気づくことには個性がでますよね。

たとえば、このnoteで「気づく力」について書いているのも、noteを200日つづけてきて気づいたことだからです。

気づきの量が、人を成長させる

自分がnoteに書いたことって、意外と人に話せる。

そんな経験はないでしょうか?

私はいっぱいあります。

たとえば、本に書かれていることは、本を読んで1週間くらい経ったら忘れちゃっているけど、noteに書いたことは、1年経っても話せたりするんです。

なぜかと言うと、自分が気づいたこと、そしてそれをカタチにしたことは、記憶に残るからです。

『シン・ニホン』には、こう書かれています。

「気づき」は自分の中にある何らかの知識や理解が、異なる何かとつながることだ。これは言ってみれば情報間の化学反応であり、知らなかったことを知ったというレベルの話ではない。
新たに自ら気づいたことはそう簡単には忘れない。つまりその人の成長力は気づく力に真に依存している。

「気づく力をつけよう」

「気づきの量を増やそう」

というのは、抽象的で良くわからない。

でも、「今日どんな気づきがあった?」と自分で自分に問いかけて、noteを書くことはできます。

これからもnoteをつづけていきたいです。

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