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山は1人では登れない

私の趣味の一つに富士登山がある。
趣味:登山ではない。
何故なら、富士山以外の山は登ったことがないから。

そんな私の事を、母はこう呼んだ。
「富士ガール」だと。

富士登山のきっかけは、歌仲間で、現在はKindle出版のプロデュースもしているAさん。彼女の話を始めたら1投稿では収まらないのでまたの機会にするが、その彼女の誘いに軽率に乗り、登山経験0で臨んだ初の富士登山が2016年。
その達成感に魅了され、そこから早6年、コロナ禍を挟み3年ぶり5回目の富士登山に挑戦する事になった。

もはや初心者とは言えない富士登山歴。
3年のブランクがあるとはいえ、何が必要か、何を補充した方が良いか熟慮を重ねながら準備を進めた。記憶を辿りながら、必要そうな物はある程度買い足したりもした。
感覚としては若干ふわふわしていたが「準備万端」そう言っても過言ではない、そんな状態で臨む事が出来た。

今回の富士登山のメンバーは私を含めて4人。前述のAさんに加え、経験豊富なYさん、今回で3回目のTさん。YさんとTさんは成人男性、Aさんは驚異の16回目の富士登山。足を引っ張るとしたら自分だろう、確率論的なレベルでは思っていたが、多少待ってもらうとしても、自分のペースでのんびりいこう、そんな風に気楽に考えていた。



……だが、悲劇は早々に訪れた。

天気は上々、暑過ぎるくらいの陽気な気候の中、5合目から登り始め1時間程経った頃だっただろうか。剥き出しの岩肌が多くなり、少し険しい道のりになる6合目の半ば、右足の感覚がふわふわしているのに気が付いた。
ふと足元に目をやると、靴本体と底のラバーが離れて、バナナの皮を向いたような有り様になっていた。

やばい、靴が壊れた。

頭を過ぎる、10年前に履いてたランニングシューズの末路。久しぶりに履いた時に、同じように靴底のゴムが剥がれて、しかもそれに気が付かずに、その剥がれたゴムを何処かに置いてきぼりに家に帰ったことがあったような。

その記憶が結構鮮明に残ってはいた。だからこそ、数週間前に靴のチェックもした。抜かりなくやったつもりだったが、決して安くはない登山靴を新調するのは避けたい、そんな理性がどこか頭の片隅にあったのも事実だ。
しかし、3年の空白を挟み7年目の登山靴。残ってたHPはほんの僅かだったのだ。

一瞬色々反芻したが、そんな後悔は0.1マイクロミリメートルも役に立たない。
ひとまず、現状を周りのメンバーに伝え、打開策を募った。
正直なところ、私の頭の中は真っ白だった。
恥ずかしながら、役に立つような道具は持ち合わせてなかった。替えの靴紐の一本でも持っていれば……

「ビニールテープならあるけど…」

Tさんが何処からともなく、真っ白なビニールテープを出してきた。

救世主ここに現る……!
実はこの富士登山御一行、元々はあるカトリック教会の信者さんが発起人となって始まったらしい。
Tさんはメシアだったのか!

※Tさんは教会とは無関係です(笑)

何はともあれ、私達は一筋の解決策を手にした。右足をYさんに預け、つま先と土踏まず、踵部分をぐるぐる巻きにしてもらう。
突貫工事に思える、このビニールテープ作戦だったが、8合目の山小屋に到着するまでに、巻き直しは2回で済んだ。
そう、同行者に大迷惑をかけたものの、天気にも恵まれ、私は8合目まで辿り着けてしまった。事の重大さに気付かぬまま。

ここで、富士登山(8合目で宿泊)のスケジュールを記しておこう。

(1日目)
5合目からスタート→6合目→新7合目→旧7合目→8合目→山小屋にて食事と睡眠

(2日目)
夜中2〜3時に8合目を出発→いつの間にか9合目は通り過ぎている→山頂にて御来光を拝む(天気次第)→8合目まで下山し朝ご飯→ひたすら下山

ざっくり言うとこんな感じだ。
山小屋に着いたという事は、1日目の工程はクリアした。全行程から見ても1/3はクリアしたと言える。

ここまで大活躍したビニールテープだが、山小屋に辿り着くまでに、だいぶ巻きが少なくなってきた。
そして、ここからはさらに険しい岩肌丸出しの山道な上に、登り始めから頂上までは夜明け前だ。これまでのように巻き直しは容易ではないことは想像に難くなかった。

どうにか消灯(午後9時)までに靴問題を解決すべく、山小屋スタッフのお兄さんお姉さんに助けを乞うことにした。
私「靴底剥がれちゃったんですけど、接着剤的なやつないですかね?」(もちろん有料なら買うつもりで)

ベロンと剥がれた実物を見せた時の一同の破顔。私の想像以上に、事は深刻だったようだ。

お姉さん「え…それで上まで行くの?」
お兄さん「接着面が少ないから、(接着剤じゃ)厳しいんじゃないかな?」

どよめきが広がる

富士山の8合目から頂上。その山道の険しさ以上にネックなのが、その道中に山小屋や休憩所がないところだ。
途中で何かあっても休める場所や、助けてくれる場所がない。
要するに、いつまた壊れるかわからない靴を履いて向かうのは、リスクが大きいという事だ。
しかも運の悪いことに、天気は夜中から雨予報だった。テープ類は水分とはあまりにも相性が悪い。

あれでもないこれでもないと、そうこうしている間に、七輪で暖を取っていたほかの登山客にも事情が伝わっていた。
総人数15人ほどの、このコロナ禍にしては大会議になった。

・山小屋で長靴を貸してくれる案
→私の足のサイズが小さすぎて断念

・少し離れた別の山小屋でゴム樹脂を溶かして貼りつける道具(設備?)があるらしい。一か八かでやってみる?
→一か八かの割に手間がかかりすぎなのでお断り。

結局、応急処置として、山小屋にあった接着剤で靴底を貼り付けた後、同じく山小屋にあった針金で固定。最後の仕上げとして、登山客の1人のIT系にお勤めのお兄さん(初対面!)がくれたビニールテープを巻き付ける事になった。

完成図はこちら

ちなみにこれは山頂で撮った写真。
つま先部の針金が、何処かで千切れてしまったようで、パッと見少し汚れた登山靴にしか見えないが、先端の方が黒いビニールテープに覆われているのがわかるだろうか。

靴はこんなボロボロの状態だったが、多くの人の手を借りて登頂出来たのだ。

生憎雨混じりの中の御来光だったが、一瞬光も見えた。

よく、人生を山登りに例えることがある。
山あり谷ありと。一筋縄にいかないが故の比喩だと思っていた。

だが今回の山登りで実感したのは、それ以上に、1人では登れなかったという事実。
少し慣れたつもりになっていた富士登山。
蓋を開けてみれば、一体何人に助けられただろうか。一桁では収まらない、人の手、助言、道具を借りて、時には頂き、やっと完遂できたのだ。

人生だって同じではないか。
ついつい人は生きることに慣れると「1人で生きていける」と奢ってしまうものだが、実際には多くの人と関わって、助けられ、時には助けながら生きているのではないか。

今回の富士登山で助けてもらった事、直接関係者に丸々返す事は出来ないだろう。
けれども、またどこか別の場所で、誰かの助けになる事が出来ればいい、そんな事を学ばせてもらった2日間だった。

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