今、この瞬間から「どんなわたしで在るか」を再設定できる。
10月に入り、一気に空気感が変わりましたね。
気候的にも、エネルギー的にも。
今回は、「わたしってこんな人」といつのまにか思い込んでいた…!という気づきを綴ろうと思います。
|本来の自分とズレている感覚
わたしは基本的にしゃべるのが好きです。
だから、一時期はインスタライブをよくやってました。人の配信を見るのも好きでした。
ライブの方がエネルギーや人柄が伝わりやすくていいと思ってたんです。
でも今は、ライブ配信をめっきりやらなくなりました。
久しぶりに配信をしてみたら、違和感がすごかったんです。
何に対する違和感か…と言えば、
文章では今の気持ちにぴったりな言葉を「自分と対峙して、自分目線」でじっくり選びながら、心地よい世界観を紡ぐことができているんです。
心と体と言葉が完全に一致している感覚です。
対してライブでは、もっと人に見られたい、人に喜んでもらいたいという「人からどう思われるか?の他者目線」で面白おかしく演じてしてしまっているのです…。
だから、配信したライブを見直した時に「あ、これはなんだか気持ち悪いぞ…」と感じました。
気持ち悪さは自分へのダメ出しではなく、本来の自分とズレている感覚がムズムズするという意味です。
評価が欲しくて変な力みが入ってるなぁ…とわかってしまったので、そのライブ配信は非公開にしました。
|「あれあれ?わたしってこんな人だっけ?」
数ヶ月前までは、こんな風に感じたことさえありませんでした。
書くのも話すのも得意と思っていたのですが、いずれにせよ「人にウケるか」「評価されるか」という視座になると、違和感をハッキリと感じるようになったのです。
今まで「これが好き」「こんな性格」と思っていた自分が本当は違った、と玉ねぎの皮が剥ける現象が次々と起こっているのです。
その過程で「あれあれ?わたしってこんな人だっけ?」と本来の自分と対峙して、スッとは受け入れられなくて、心がザワつくことってありませんか?
「あぁ、一体わたしは何枚の鎧(玉ねぎの皮)をまとって生きていたんだろう?ずいぶん重かっただろうし、しんどかったね」と自分へのねぎらいの念さえ出るほど、今とのギャップに驚くばかり…。
|もっと脱力して生きていい
実は9月末にとあるセミナー(講演会)に行ったんです。
自分の書籍が発売された後に講演会をやりたいという思いもあって、イメージを膨らませるために参加したという体でした。
けれど体は、なんとなく「ここに行かなくては…!」と突き動かされて参加しました。
結論は、セミナーの内容が云々というよりも「ありのままの自分でいい」という事をガツンと教えてもらうために導かれたのだと分かったんです。
言い換えるなら「もっと脱力して生きていい」ということを突きつけられたのでした。
目の前に人がいても、
ライブ配信でどれだけ人が見ていても、
何を聞かれても、
ありのまま飾らない自分でいたらいい、
もっとゆだねていい。
そんなメッセージがふわりと心に降りてきて、日が経ってもなお、根を張るように何度もなんども心の中で反芻するのです。
ちゃんとしなきゃ
期待に応えなきゃ
がんばらなきゃ
しっかりしなきゃ
人に頼っちゃいけない
できないって言ったり甘えちゃいけない
言われたことは守らなきゃ
人に喜んでもらえるように努めなきゃ
いただいた以上のものを返さなきゃ…。
そんな生き方を30年以上してきて、それが本来の自分であり、正しい生き方だと思い込んできたわたし。
でも、もう肩の荷をおろしていい。と、分かったんです。
|P.S
そうと分かってしまったら、この先一体どんな世界が見えるのでしょう?
自分だと思っていた人間とは、一体何者なのでしょう?
これまでの経験や記憶
生い立ちや境遇
能力や容姿
役割や性格
など
「わたしってこんな人」といつのまにか思い込んで、設定しただけなのだと感じます。
だから、今この瞬間から「どんなわたしで在るか」を再設定できるのだということも…!
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