見出し画像

62 years age difference

私は約2年のアメリカ生活を経て3ヶ月前日本へ帰国した。2年間日本へは一度も帰国しなかった。帰国したい気持ちは誰よりもあったけど、一度帰国したら自分のバランスが崩れそうで帰国することは考えなかった。というか最終手段として自分への逃げ道を作っておきたかった。

アメリカへは仕事と留学という少し特殊な方法で渡米した。ベビーシッターを雇うことが日本よりもポピュラーな国らしいそんな制度。これについてはまた他で書きたいと思う。

感想として一言でまとめるならば「行ってよかった」これに尽きる。月並みだけどこれがしっくりくる。社会人となり本格的に仕事を始め生活の基盤ができ、慣れが生じるとなんとなく過ごす時間が多くなる。これは安心や安定とも言い換えられるが私は「まずい。なんかこの感情は怖い。」と思っていた。だからこの恐怖から逃れるために環境の変化が必要と数年前から感じていた。そのために仕事の部署を変えたり色んなことを試した。でも最終的には日本脱出しかないと感じていた。だから違う言語や文化を学びたいっていう留学者が抱く願望よりもちょっとベクトルが異なった始まりだった。
でも実際生活してみたら感じることがなかった自分の感情に触れたり、家族や友達などの尊い存在がどれほど大切かを感じることができた。だから冒頭の「行ってよかった」という感想が行き着いた。

海外生活は他人から見ればキラキラしていたと思う。けれど実際は言語や文化の違いの壁に当たり落ちこんでいる自分が崩れないように、キラキラする自分をSNSを通して演じることで心の安定を保っていた。友達や家族と住んでいる地域が異なるだけで反対の時間軸で生活していたことは想像より孤独感を与え、寂しさを倍増させた。だから孤独に負けそうになったたびに私はSNSで写真を投稿し自分を律しようとしていた。SNSは基本プラスな要素しか載せない。だから私にはピッタリのツールだったしそんなSNSの使い方が私には合っていた。
今やSNSは「私はこんなみんなが憧れるを生活してます」というような一種の巨像から成り立っている気がする。それに違和感を感じていたはずなのに今回はそのことに救われた。

こう書けば悪いことばかりのように感じるがそうではない。以前から癒し空間を提供してくれるカフェ巡りが好きだったから好みのカフェを見つけそこへ行ったり、今まで行きたかったアメリカ国内の都市やスポットへ旅行したりヨーロッパ周遊もした。この約2年で5年分の旅をした、そんな気分になった。そう感じることができる機会はこの先訪れるだろうか。未来はわからないけれどそう早くは訪れそうにはない気がする。

プログラムを終え帰国してきてからは祖母の介護が始まった。渡米前は杖を使用し歩けていた祖母との久し振りの再会はベット上で横になった状態だった。この光景を見た時2年の月日の長さを実感した。私と祖母では同じ時間の中でも老いへのスピードは異なっている。その事実が帰国直後の私にのしかかってきた。
私は渡米前は看護師として働いていた。仕事であったから患者さんに寄り添いたいと思っていてもどこか他人事だった。けど実際に身内をみることになって本当の意味で寄り添うために考えながら日々を過ごしている。

祖母とはそう離れていない距離に住んでいたが頻繁に会う回数は年齢を重ねれば自然と減っていた。それは気がかりではあったが、日々の忙さを言い訳にしてなんとなく見過ごしていた。けれどいつかは祖母の世話をすることはなんとなく覚悟していた。祖母は病院嫌いの人だから、以前から最後は家で過ごしたいという話をしていた。だから祖母の世話をするというのは私の中でついにその時が来たか、そんな感だった。
けれど実際はなんの前触れもなく帰国してゆっくりする間なく始まった祖母の介護にヘトヘトだった。2年の間で祖母の認知機能は著しく落ち1日に何度も同じことを聞く。10分おきに呼んでくる。でも3回に1回は私が誰だかわからない。さっき食べた食事のことも忘れてしまう。そんなことが毎日続く。看護師として働いていた時は勤務時間の時だけ我慢すればいい話だがそうではない。最初はそれにイライラしてそんな自分が嫌になり、でも看護師だからという変なプライドも邪魔をしてぐちゃぐちゃだった。
でもそんな中でも何気ない会話や92年生きてきたでけあるというような観察力に驚かされる日々であった。祖母はいつも「美味しい、美味しい」と心から食事の感想をのべ、私が介助をすると「ありがとう」と言ってくれる。当たり前なことだとわかっていても日々の生活の中でこれがちゃんとできているのか。なんだか自分への問いかけのようで、忘れてしまいがちなことを忘れるなよと祖母からのメッセージのように感じた。
そんな祖母との生活はすでに3ヶ月を迎えようとしている。退院後に会った時より顔色はよく、食欲もありどこまで強い生命力を見せびらかせてくれるんだと私は内心思っている。だけど同時にどうかこの当たり前が長く続きますようにと毎回祖母とバイバイするたびに願っている。今は次の日に『おはよう』と祖母へ言えることがこの上ない幸せだと思っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?