先生を辞めたらしたいこと
こんにちは、なつみです。
わたしは、教育界を去る決意をしました。
突然のように思われる方も多いのですが、何年もかけて考えたことです。
教員は退職率が低く、前例の少ないことなので、リスクがあることも理解していますし、幅広い世代の方・他職業の方の意見を聞いて、毎日葛藤して決めたことです。生半可な気持ちではありません。これからが、不安で苦しいものになるのは、それはそれは覚悟しています。
教育界を変えるべき才能が、わたしにはあったと思います。管理職から出世(というのかわかりませんが)の話も持ちかけられました。依頼があって外部研修で、大勢の先生の前に立って話したこともあります。
もし、教育界に長く留まっていたとしたら、管理職を目指すルートを辿っていたと思います。人一倍、教育界に貢献したい気持ちは強かったです。
いろいろな研修に自ら赴き、休日も自腹で時間を割き、学びを得てきました。三年くらい続けたTwitterを通しても、非常に多くの人と出会えたので視野が広がりました。表現の場を探すために始めてみた品のないアカウントですが、多くの人が、正体のわからないわたしと「会いたい」と思ってくれるのは、非常にありがたいことでした。
そうするうちに、学校の先生を続ける以外にもいろいろな選択肢があることを知りました。世の中には様々な仕事があり、楽しい生き方をしている人がたくさんいるということが見えたのです。
Twitterで、毎日のように自分の頭の中のことを言葉にするうちに、わたしはいつだって文章を書きたくて、残したくてたまらないことに気づいていきます。なんとなく抱えていた、「もっと自分が書いた文章をこの世に残したい」「本を出したい」という夢を、叶えてみるのもいいのではないかと考えるようになりました。
また、多くの男の人と出会ったことで、今まで小説や漫画の中の出来事でしかないと思っていたことも経験し、さらに過去のどんな本を読んでも知らなかった恋愛感情も味わいました。真面目さと大胆さが混在した、わたしにしか書き残すことができないものもあるのではないかと感じています。
教員でいるうちは、「職務専念義務」「副業禁止」「信用失墜行為禁止」などのさまざまな柵(しがらみ)があります。そこから抜け出して、もっと自分だからこそできる表現を、のびのび探すことができたらどんなにいいだろうと思いました。
いわゆる、「安定」と言われている教員の身分ですが、「安定」は家庭を持つ人には必要だけれど、幸い?わたしは独り身です。周りがどういう目で見るのかは知りませんし、「辞めてさらに婚期を逃すの」なんて嘲笑う人もいますが、独りなんだからやれるだけやってみようと。自由さを持っているからこそ、やれることを探すことがわたしの使命なのかもしれないと、そう思いました。
遠距離恋愛をしていた頃、相手の住んでいるところに行くならば別の仕事をせざるを得ないと考えた経験から、「仕事を辞めても仕事はある」と思えました。女性が男性の住む場所に行くべきということはないけれど、住む場所を変える事情のある人は世の中にたくさんいるのだから、今の仕事にしがみつく必要はないはずです。結婚などの他要因で仕方なく生活を変えるのではなく、自分の意志・選択で人生を変えてみたいと思うようになりました。
そんなわたしが、教職を離れたらしたいことを、今回はお話したいと思います。いつもわたしを応援してくださるみなさんに、考えていることを知っていただき、今後の動きを見守ってもらえるとありがたいです。
「稼ぎたい」
何より、一番に「稼ぎたい」んです。
「お金を稼ごうとすること」「売り上げを意識すること」に対して縁遠い仕事をしてきました。教員をしている人が、「稼ぎたい!」と言うと世間の人はあまりいい印象を抱かないでしょう。
働く場所によって規定は違うのですが、正規教員は「副業禁止」の場合がほとんどです。
非常勤などの勤務形態ならば他で収入を得ることは許されます。あとは、農業や住職などの限られた兼業は許可が下ります。一部、投資は大丈夫です。出版や起業などをして活躍する先生もいますが、勤務先の許可を得れば可能な場合もあります。
じゃあ、勤務先の許可を得て本を書けばいいのではと思う方もいると思うんですが、どう考えてもわたしの書く文章では許可が出ないでしょう。初めてネットに公開した小説は『顔射』。noteで書いている記事は『現役教師だけど風俗の講習を受けてみた』などです。万が一オファーがあって本を出すことになっても、自分でも申請する勇気はありません(笑)まぁ、何か作家デビューできる賞を取ったわけでもなく、本を出すほどのツテはないので心配に及びませんが。
※『現役教師だけど風俗の講習を受けた話』は2020.4.3より有料
「稼ぎたい」とは言ってますが、「お金がほしい」というわけではなく、「自分の力を試してみたい」という気持ちが大きいです。
雇用されている間は、携わっている業務に専念すること、企業などのイメージを守ることは義務だと思います。しかし、「自分の頑張っていることに、お金を払ってくれる人がいる」とわかった方が、才能は磨かれるし、多くの人を助けることができると思いました。
みなさんは、「自分の特技はどれくらいお金になるのだろう」「好きなことをしてお金をもらえたらいいな」と考えたことはありますか。
例えば、あなたは歌うことが好きだとします。広告なしでyoutubeなどに歌をアップして何万もの人が再生してくれたとします。嬉しいと思う反面、広告を出したらいくらになったか考えはしませんか。また、カラオケで何気なく歌ったら、一緒にいた人が涙を流すほど感動していたとしたらどうでしょう。自分の才能に価値があるかどうか、確かめてみたくなると思うかもしれません。
もちろん、お金になるかわからない、生活できるかわからない世界に飛び込むのはリスクがあるので、その才能はなかったことにして蓋をするかもしれません。趣味で終えるのも、その人の選択だと思います。
ただ、もったいなさはありますよね。この場合、副業可能ならば問題はなくて、メインの仕事をこなしながら、自分の才能をお金に換える喜びを知ることができるかもしれません。そうすれば、もっともっと歌がうまくなりたいと思って練習にも力を入れられるし、新たなファンを獲得できるかもしれません。
しかし、教員は許可なく副業ができないんで、そこが辛いんですよね。もし教員も自由に副業をできるとなれば、わたしは辞めていなかった可能性もあるなと思います。
年功序列とはいえ、先が見えている給料。どんどん減らされていて、自分がもらう時にはどれだけ少ないかわからない退職金。副業できたら金銭面の不安も拭えるし、教育以外の場で活躍できれば視野も広がる上に、ストレスも溜まりにくいのではないかと想像します。
今の業務量だと多忙で、副業ができる隙はない先生方がほとんどですが、ゆとりある業務量だったなら、別の仕事もこなすと人間的魅力も増して、教鞭をとる上でもメリットが多いんじゃないかと考えます。
(わたしはできるなら、教員やりながら夜職をやりたかったです。昼に抱えたストレスを、お酒を飲んで喋って発散して、バランスよく働いてたんじゃないかと思います。荒れていた可能性ももちろんありますが笑)
とにかく、わたしは「書く」ということに長く時間をとれる環境を作って、「稼ぐ」ということを意識して、自分を追い込んで才能を伸ばしてみたかった。
才能才能言っていますが、そんなものはうまく発揮されるかわからないし、タイミングよく運が巡ってくるかもわかりません。そもそも才能なんかあるのかもわかりません(もうすでに、「お前に才能なんてないよ」と思っている人もいるでしょう)しかし、「稼ぐ」ということがうまくいかないなら、それはそれでいいんです。
結局、何をしても教員を辞めたことを後悔する日は、絶対やって来ます。「今頃、教員を続けていたら貯金がこれくらいあったかもしれない」なんて、どうせ将来思うんです。
その反対に、教員を続けていても、「あの時辞めていれば、今頃本を出していたかもしれないのに」という気持ちも、一生付きまとうんですよね。どんな生き方を選択しても、人は後悔はします。後悔の少ない選択ができるかが、大事なんだと思います。
教員をしていた方が、生涯賃金が多かったということを、歳をとって後悔する可能性はとても高いと思います。それでもわたしは、安定して(いるのか最早わからないけれど)先が見えている給料よりも、「自分で作ったものがお金に換わったことがあるんだ」と思える人生にしてみたかった。
「この程度しか稼げないのか」「ずっと長くは続けられない」などということを身を持って知れば、また次に向けて頑張ると思います。未練を残したまま、だらだら過ごすのが一番よくないなと感じています。
何事も、始めるのに遅いことはないとよく言いますが、何かを始めるのには若い方がいいのも確かです。迷いながら教員をこの先も続けて、四十代、五十代になって文章を書いたとしても、瑞々しさは失われてしまいます。その時はその時で、味のある文章を書けるかもしれませんが、わたしが最も書きたいのはセックスの話なので、今のうちにたくさん書きたい。
「稼ぎ方」はいろいろ模索中ですが、頑張ってるなと思ってもらえたら支援してくださると嬉しいです。
「勉強したい」
学校の先生になる人って、どんな先生もわりと勉強が好きで、「勉強は好きになれるものだ」って押し付けてくるから嫌ですよね。勉強はほとんどの人が嫌いですよ。嫌いでいいですよ。
残念ながら、わたしは「勉強が好き」なタイプに育ってしまったので、学校の先生になりました。勉強が嫌いなら、予備校の先生になって、いかに効率よく短時間で勉強と向き合う量を減らして合格できるか、ということを教えていたかもしれません。
わたしには、昔から好きな分野があって、それを仕事にすることができました。好きなことを研究して、人に教えるのはとてもとても楽しかったし、幸せでした。教材研究をしている時間が、何よりエクスタシーでした。
教科書の内容は改訂されることもありますが、それでも毎年のように同じことばかり教えているので、ちょっと違うことも勉強したいと思うようになってきたのも確かです。
まだまだ若手なので、どんな学校に行っても完璧に対応できるほど、知識や指導力が身についたとは言えないですが、だんだん「もうこれはこう教えたらいいな」と怠慢になってきてしまったのが、少し嫌で。
わたしは教員免許以外に、特筆するような資格がないです。一生教員でいることは、教員しかできない自分を作っていくだけだなという恐怖もありました。
具体的には言えませんが、教員を辞めたら新しい勉強をしたいと思っています。学ぶことをずっと楽しんで、生きていきたい。
教員をしながらでは、教材研究以外のことをする時間がなかなか作れなかったのと、教材研究に何時間でも力を注いじゃうタイプだったので、今まで極めていた分野から少し離れて、新たな視野を獲得したいと思っています。
またその勉強も、「稼ぐ」手段につなげていくとした方が、より気合いも入ると思っています。新しい勉強をすれば、「書く」糧にもなりますので、とてもわくわくしています。
「ゆとりを持ちたい」
昨今は、ブラックである現状も明るみになってきた教育界ですが、わたしの働き方も例外ではなく、常に残業や持ち帰り仕事に追われていました。帰れば、へなへなと力なくベッドに寝そべり、風呂も入らず寝てしまう。朝方、ハッと目覚めてシャワーを浴びて、慌てて出勤することも多い日々でした。
ストレス発散のために飲みに行ったり、日々のご褒美のために外食をしたりしては全然お金が貯まらないし。仕事帰りには毎日のように涙を流すようになり、「一体自分は何のために生きているんだ……」と、悲しくなることが重なってしまいました。
土日の出勤も嫌でした。週末、ラブホで過ごしてもゆっくり寝ることもできず、始発で帰って着替えて出勤ということもよくありました。仕事に力を注ぎすぎて、デートをゆっくりする時間の余裕も、心の余裕もなく、男性に甘えるということをしないまま若さを失っていくことにもうんざりしていました。
教育界にも、働き方改革は進んでいます。確かに、残業を減らそうという動きも職場では見受けられました。しかし、ちっとも業務量は減らなかった。年配の職員は仕事を押し付けてくるし、新任の先生は指示待ちで積極的に提案をする様子はない。
働き方改革をしようと思っている側の仕事が増えるのでは、ちっとも働き方改革じゃないなと思いました。変化は感じていましたが、改革が進むにはとても時間がかかると思いました。変わる頃を待っていては、わたしの若さがどんどん失われてしまうと感じたのです。
わたしが辞めたことで、何か変わればいいなと思うのですが、残った人が変えたいと思っているかは微妙です。「先生という仕事はこんなものだ」と思っている人がまだまだ多すぎて、ぞっとしてます。
このままの業務量で働き続け、どんどん身体を壊していくことも怖かったです。過労死の報道も盛んになってきたことが、自分の命を守ることを考えるきっかけになりました。本当は、もっと教員の過労死の実態も世間には注目してほしいのですが。
辞めて、一度立ち止まって、もっと健康と向き合いたいです。美味しいご飯を自分で作って、心の健康も大切にしたいです。
退職を考えたときに相談したセフレがいて、彼は大手企業を退職して新しい道に進んだ人でした。そこで、「ちょっとくらい休憩した期間があっても、人生大したことないよ」と言ってくれました。この言葉にわりと救われて、考え方を変えて頑張ることができました。
学校の先生は、一生続けるのはちょっとキツいかもしれない。一旦、立ち止まってもいいし、ぶっ倒れる前にセーブして、しっかり生きようという選択をした人こそ、「偉い」とされる世の中になればいいと思います。一旦立ち止まっても大丈夫だという例に、自分がなれたらいいなと思います。
※辞めなくても、休職という措置もあるので、教員を続けたいと思う方は一つの方法として知っておいてください。全力投球で働き続けるのは、本当に難しい仕事だと感じます。
「フォロワーに会いたい」
既にTwitterを通じて、たくさんの人と会ってきました。男の人とばかり会っていた時期もありましたけど、教育関係の人とも、性教育を発信している人とも、ただ下ネタが楽しく話せる仲間とも出会えて、ただ普通に過ごすだけでは交流できなかった人たちと知り合うことができました。
Twitterでは好きなことはつぶやくけれど、写真などは載せず、個人情報が特定されることはつぶやかず、変なリプが来ても相手にはしません。DMも今まで開放していませんでした。それが窮屈な時もあるけれど、今まで出会った大切な教え子を守るため、傷つけないため、学校に迷惑をかけないために気をつけるのは当然でした。(学校関係者に知られると、恥ずかしくて大好きな授業もできないですしね)
ここ一、二年で、「先生」を名乗る裏垢も急激増えましたが、顔を出したり勤務先バレるようなこと書いて大丈夫かなと思う方も多くなって心配です。どうかお仕事を続けたければ、特定されてトラブルになるようなことは避けてください。
教師を辞めても、わたしには今までの教え子たちの存在があるので、個人情報が特定されるような話を、今後もするつもりはありません。
ですが、今までより少し気軽に、Twitterを通じたイベントなどには参加したいと思っています。いずれは、自分でイベントを主催してもみたいです。
教育関係の方からDMをいただいて、「お会いしたい」ということも言っていただけることが多かったので、自分が絡んでいった特定の人に会うだけでなく、自分に会いに来てくれる人を待つこともしてみたいなと考えています。
「性について発信したい」
わたしはずっと、教育に携わっていたいし、教育に関心を持ち続けていくことには違いありません。教育者にふさわしいと思うところは多いのですが、ふさわしくないと思う部分もあると感じています。
性に関しての興味が昔から強いのです。性欲が強いということではありません。人それぞれ、映画の話や美容の話に興味を持つように、性的な話への興味が深くあります。
教育現場では、性教育が非常にしにくいです。少しでも、性的なイメージにつながる単語を授業に取り入れて、問題にされたら嫌なので、できるだけ避けるようにします。性教育は生きるためには必要なことだけれども、教員はどこまで踏み込んでいいのか、悩みながらあまり何もできずにいるのが苦しかったです。
Twitterではいろいろな方が、それぞれの形で性教育の発信をしています。それを見て、教育現場で性教育を展開する方法ばかり考えなくても、わたしにしかできない方法で、世の中を変えていくことができるんじゃないかと思いました。
普段の、下ネタのツイートはわりと男性に対しての啓蒙であることが多いです。今まで自分が経験した嫌な思いを、同じようにする女性が少しでも減ってほしいなと思い、気づいて行動を変えてくれる人も少しはいるだろうと思い、発信しています。
あとは、自分の経験を小説やnoteの記事にしていくことで、普段の性生活について考え直す人もきっといるだろうし、その人の失敗を防ぐことも、未来を幸せにすることもできるはずなので、そういったことを考え続けていきたいです。
医療関係者は正しい知識があるから人を安心させられるし、子育てをしている人は子どものよりよい成長を促すことができるし、キラキラした性教育というと語弊があるのかもしれないけれど、わたしはその逆のドロドロした、リアリティのある小説というフィクションという媒体(ややこしい言い方だけど)を使って、大人に性教育をしたい。
再び、小説『顔射』の話になりますが、感想をいただいた中で、「こんなにも性行為の一部について考えたことはなかった」「パートナーを大切にしようと思った」「独りよがりの行為ではなく、二人でセックスに向き合おうと思った」というような言葉があって、ああ、これがわたしにしかできないことだと思いました。
今後、上手な小説や記事を書けるかはわからないですが、誰かの心はきっと動いてるんだと思って、表現を諦めないでいきたいと思います。
今回は、自分の決意を明確にするためにも、自分を奮い立たせるためにもあえて「先生を辞めたらしたいこと」を文章にしてみました。
正直言って、教員を辞める理由は、キラキラした前向きなことだけではありません。やや長かった教員生活、人には話せないこともいろいろありました。暗い事情もあります。
しかし、それでも辞めると決断したのは、他でもない自分です。誰のせいにもせずに、自分が求められるところを探していきたい思います。
がんばります。マイペースにがんばります。
わたしを応援してくれる人を、幸せにしていきたいです。そうして自分も、幸せになりたいです。
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