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子宮を使いたい

彼氏にぐいぐい結婚を迫るような女性になりたかった。

昔はそういう女性が嫌いで、落ち着けよ、男性の気持ちを考えろよと冷めた目で見ていた。しかし、女性としての妊娠のリミットを知る度に、男性の方が女性の身体のことを知らなすぎると感じ、結婚を迫る女性というのは、夢を見ている少女ではなく合理的な考えの元で行動に移していたんだとわかった。

男性は呑気なだけだった。その呑気は女性を苦しめている。

結婚をぐいぐい迫る女性になりたかったとは思うが、過去に結婚をぐいぐい迫ろうと思えるほどの男性と出会った記憶もない。交際した人も、遊んだ人も、同僚も。

「嫁に来てよ」と迫られて、自分もいい歳だし仕方ないこれが年貢の納め時的なやつかと観念したことはあるが(結局向こうが振ってきたが)、それでも心から結婚したいと思った相手ではなかったし、結婚すればモラハラをたくさん受けるだろうというのがだんだん目に見えきて苦しかった。その人との将来を優先し、自分の夢や仕事を消さねばならないと想像するとたまらなく嫌で、何度も泣いた。

その人と一緒にならなかったからこそ、わたしは数々の、昔から抱いていた夢をいくつか叶えた。妊娠や結婚を叶えるチャンスをどこかで逃してしまっていたとしても、今の人生が好きで、この方向でよかったとは思う。与えられるのではなく、自分の力で得てきた感じがあるから。

同僚からしたら突然コロっと退職したように思われたかもしれないが、教職を去る決意をしてから三年ほど年月を要している。正直、何事も決断と実行は早いに越したことはない。ただ、教師という仕事は責任が重い。絆が深い。担任などしていて、産休以外の理由でクラスを離れられるわけがない。法律や制度的にいくら可能であっても、良心の呵責がある。犯罪でもないが。

キリのいいところまで踏ん張ったら、身体も精神もボロボロになっていた。今は優しい職場に恵まれたので文句はないが、一生教職続けていたら死んでいたと思う。

教職を続けたくなかった理由の一つに、妊娠・育児しているイメージがどうしてもつかなかったというのもある。もちろん、きちんと妊娠・育児している人はいる。待遇も休暇制度も良い方だろう。

しかし、何十人もの子どもの面倒を見ながら、自分の子どもに力を注げる自信もなかった。体力の問題だろうか。もっと学生時代に部活ばかりしておけばよかった。それなら部活大好き教員としてよろしくやっていたかもしれない。

子育てなどそんなのテキトーにやればいいんだが、テキトーにやらなくてはいけないんだが、あの業務量でプライベートを充実させる自信はどう考えてもない。土日も仕事、毎日教材研究に追われる。いつ妊娠できるんだ。流産してきた同僚もたくさん見てきた。

かと言って、教職を辞めた今妊娠できる環境が整ったかというと、恋人もいないしコロナに怯えて人と触れ合えないし、この夢はしばらく実現しそうにない。生理痛にびびって毎日きちんとピルを飲んでいるだけの日々だ。

仕事して、飯食って、税金の支払いをするために労働している。歳をとるごとに子宮を消費して、何も産んでない。

また同じく、今も子どもたちのための働いているので、わたしは一人の子と向き合うのではなく、世の中の子どもを育てるのが天命なのだと覚悟もしている。覚悟という名の妥協をしている。言い聞かせている。

でも、妊娠したい。子宮を使ってみたい。自分の腹を慈しみを持って撫でたい。


もう、セックスが気持ちよくない。いい加減な関係でセックスをする意味がもうないし、とっととオナニーして寝た方が幸せに微睡める。

ピーク時は週末に6人とヤッていたような女が、一年以上も誰ともセックスする気が起こらなかった。コロナの影響はたぶんない。コロナが来ていようが来ていまいが、わたしはもう好きな人とするセックス以外は気持ちよくなりに行けないとわかっている。

次にセックスする時は、必ず妊娠を決意した時であろう。セクアポをとりつけたらピルを3ヶ月辞める。話はそこからだ。

妊娠という夢だけは、自分の決意だけでは叶わない。与えられないと叶わないのがタチが悪い。

本当は、結婚しないでも子どもを持たないでも平気でいられると思っていたんだ。でもそんなに自分は強くなかった。ただの女だった。本能と身体が、妊娠したいと叫んでくるのを押し込められるわけもなかった。





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