(2)英語を喋りたいけど勉強はしたくないという人へ

やっぱり勉強を少しはしないと、英語を喋れるようにはならないかなあ。。。という話。

の続き。

こうやって言っておきながら、基本的な文法を知らないで喋れる人も、いるにはいる。文法の詰めは甘くとも、通じてしまうのだ。

例えば、片言の日本語を喋る外国人を考えてほしい。

「おはよございまーす!あ、これはここにこうしたほうがもっと、いい、のかな?と思ったん、でーすがー、こっちにこの紙をこう、こう、やったら、できた!ってなった!ですよー」

こうやって喋りかけられても、ある程度はこういうことを言いたいのだなと、人間というのはわかってしまう。いったん通じてしまうと、じゃあもういいか、とそこからの向上が億劫になってしまうこともある。

(まあ、言い換えればこのくらい片言でも、「伝えたい」という意思があれば、伝わるだろうし、圧倒的多数の臆病な日本人にとって、文法の正解より、伝えたいのだ!と、こういう態度が必要な人もたくさんいる。)

限られた知識の中で英語を喋り、そこから自分が感じていること、考えていることを表現しようとしても、必ずいつか表現と理解の幅にリミットがくることを私は知っている。そういう人を見てきたからだ。他の英語ネイティブと大体の意味は通じるけれど、同等に話せないとなると、これは感情的にはがゆい思いをすることに通ずる。

例えば、こちらが本気で怒っているのに、「はいはい」というように子供に対する態度であしらわれるとなると、それははがゆいと思う。けれど例えば、「ソレ、ガンガン、チガウだヨ~(それ全然違うしっ)」などと片言の日本語で言われたとしても、言わんとしていることはわかっても、やはり対等な感情は湧いてこない。

そうなってくると、億劫で、もう向上しないか、または「わかんないから、やっぱり基礎知識を学びなおそう」と思う人に分かれる。つまり、逆の順で、勉強して英語を喋れるようになる人も、いるにはいる。でもこれって、ちょっと遠回りかなと思う。

基礎を崇拝するわけではないが、基礎を知っていると知らないではだいぶ違うと思う。例えば音楽でも、基礎を知っていればそこからどうにでもなれる。どんなジャンルにでも行けるし、どんな弾き方もできる。

けれど、それを知らないで、いわゆる独学でそれ以外から音楽に入っていくと、いつかできないことが見えてきて、やっぱり知識を学ばないとダメだ、というときが来てしまうのではないのかな。

結局、基礎を固めてから入るほうが、近道ではないのかなというのが私の持論。

で、その英語の基礎知識を勉強するのは、どうしても「ひとりで」の勉強になってしまうかなあと思っている。他の人が手助けできないわけではないけれど、そのくらいのことは、一人で効率よくできるからだ。

これをパーフェクトにマスターしろと言ってるのではない。もちろん、分からないことが出てきたり、勉強したそばから忘れてしまったりというのでもいいのだ!その最後の詰めは、実地でやってもいいと思っている。

ただ、これを嫌だ嫌だといって、避け続けて、楽しいところだけやりたいというのも、ちょっと違うかなと思う。冒頭にも書いたように、そこまで嫌であるのなら、あなたにとって英語は、自分の手間、時間、お金をかける価値がないものと感じているのかもしれない。

楽しい!これを絶対にものにしたい!と思うことで、英語は伸びるし、勉強も嫌ではなくなり、あなたの人生の中で意味があるものになっていく。

どうか、最初の知識を入れる段階(勉強)を怖がらないで、嫌がらないでほしいと思う。

それをある程度入れれば、後からどうにでも変化させられるし、自分の思い通り表現できるようになるのだから。

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