むしろそっちが気になってしまう
身分を偽る人にまつわる幾つかのツイートを、Twitterで見掛けた。
がん患者界隈でも、時々、偽患者騒ぎが起こる。
何者でありたいのだろう、と、ふと。
そこまでしないと埋められない穴って、何なのだろう。決して覗き込んではいけない何かを、彼ら彼女らは毎日覗いているのだろうか。
辛いね。
身分なんて偽らない方がいいよ。たとえ虚勢でも。
相手はあなた自身をこれっぽっちも見ていないから。
がんになんてならない方がいいよ。たとえ嘘でも。
もし本当に将来かかってしまったら、きっと後悔するよ。
あなたにも、きっとあなたらしい良さがあるはずなのにね。
真白く可憐なレースを撮ろうとしても、背景や影が入り込んだ。
その色もわたしは、美しいと思った。
白だけを求めてしまうのは、きっと辛いね。
何度撮り直しても、なお影は出来る。光があるからね。
一時の共感や、もしくは何がしかの利益を得たとしても、結局埋まらないものを抱えたままなのではないだろうか。
自分を探したって、無駄だよ。
鏡に映してみたって、どうせ心の中まではうつらない。
だからって偽っても、無駄だよ。
そこに本当のものなんてないんだ。あるのはただ、仮初めだけ。
そして良くできたカメラに、いつか本当の姿を切り取られてしまうよ。
辛いんだろうな。騒ぎを目にするたび、いつもそこがチクチクとして気になってしまう。
自分自身でいられないほどの生きづらさって何だろう、と。
この文章はただのお節介だし、書くだけで直接触れないけれどね。
もっと楽に生きられればいいだろうにね。
多分いちばん言われたくないだろうけれど、決して見下してなどはいない。
かわいそうに。
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」