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不安になりすぎなくていい

病気を抱えていたり、病気や障がいを抱えた身内がいると、医療従事者の暴走や失敗をめぐるニュースには敏感になりがちだ。

どのような業界または界隈にもやらかす危ない人はいて、目立つのはそこ。
不穏なニュースと現実をリンクさせて不安になる、その気持ちはわかる。でもそれがすべてじゃない。

今まで関わってくださった医療従事者を信じるように、大勢の誠実で、遵法精神を持った方々を見よう。
自分の目で見てきたことを、平等に思い出そう。
 

属性──職種、性別、地域、そういったカテゴリーで他者を十把一絡げにすることは危険なことだ。
自分が十把一絡げにされて辛い思いをしたことがあるならば、尚更それを他者にしてはならない。
後戻り出来なくなるかも知れないから。
 

△△って○○ですよね、そう決めつけてdisるコンテンツは好きじゃない。やさしくない。
常に正解を叩き出せる人はいない中で生きていくしかないのは、別にいつだってそう。

患者の家族という立場も、まるで「患者の身内は患者に対しまるでろくなことをしないかのように」描かれることがある。知識がなく、良くないものばかり勧め、嘲りをあらわにするかのような描き方で。

確かに、そういう人だっているかも知れない。だが、その人の胸の内には何の不安も動揺も存在しなかったのだろうか。勿論それがどうであれ当事者のつらさ悲しさが矮小化されるべきではないが、不安定な局面にあって過ちをおかしてしまうのは周囲もそう変わらないだろう。
また、個人のいち体験談は全体とイコールではない。
そして表に出て来やすく記憶に深く刻まれやすいのは、悲しみ、不便、不平、不満、そして怒りだということに目を向けよう。
その裏にある状況や事情も人それぞれだから、安易に断絶へと導く発信者は非常によろしくないと思っている。
 

ざっくりとした言葉で括ってどこかに掲示すると、それに影響を受けた人が予め色眼鏡をかけてしまう。
だからそういうことはしてはだめなんだ、とかつて教えられた。大事なこと。
モンペとか、○○女子とか○○男とか、そういうわかりやすいワードは思考を奪うのと同じ。
 
集団の中の一部を切り抜いて、全体に対して不安になったり、憤ったり。
それは心に負荷がかかるだけ。
これまで歩いてきた道で見て、そして得てきたものや与えられたものをいま一度見てみよう。
不適切な一般化は差別や侮蔑と隣り合わせであることを知ろう。

不安を諍いや対立に変換して、生きづらさを増す必要はないんだ。
大丈夫、きっとひとりじゃない。
 
 

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」