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なかあわせ
手術したところ、痕などに違和感があったり痛んだりするとき、過去にした選択について考えなくもない。
これから冬を迎えるから、寒くなればもしかしたらそんな日がぼちぼちと出てくるのかもしれないな。
入っているインプラントは全世界で回収されたもので、確率は非常に小さいながらもリスクはある。ひやりとする瞬間、過る言葉。
もしもあの時、別の術式にしていたら?
だがこうも思う。自家再建ならば、そちらの傷が気になったり、痛んだりはまったくしなかっただろうか。
ゼロリスクはない。そうなのだ。わかっていても思考が走り出すそのとき、別サイドに佇む人の「ひやり」は見えているのか。中合わせだ、今とifは。
未来において何が正解になるかなど、わからない。だが少なくともあの頃の自分はよく学ぼうとし、よく考え、選んだ。
その選択をより良きものとしてくれる幾つもの手もあった。
あの時の自分がどう選んだのか、その真剣さを忘れない。この先も自分の選択したラインの上に立って歩いていくために。
◇ ◇ ◇
ひとつ前の記事でも使ったヘッダーは、以前出掛けた時の写真。鮮やかに明るく見えているところから少し目をそらせば、地味で暗い部分がある。
でもこれらは同じ木の葉っぱ。不自然なまでの明るさも、沈みゆくような仄暗さも、元は同じ。
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」