お買い物をする、余力で。
他愛のない、本当にどうでもいいようなお買い物が出来るというのは、色々な意味で余力があるということだとしみじみ思う。
今日は仕事帰りにあまり急ぎではない買い物をして、ちょっとだけ回り道をした。
こういうことは、余力──マチとか糊代のようなものがあるからできる。
糊代がまったくなかった時、わたしは必要に縛られていた。
必要を満たすために生きる。
それは心も身体も削ってしまう。
お買い物をすると、自分自身のバッテリーがどれほど満ちているのかが、つくづくわかる。
それを知っていられるのは、余力のなさを痛感した経験があるからだ。
ほんの少しの余裕と、たまに空を見るくらいの時間はあったほうがいい。
どんなに何かに打ち込んでいても。
◇ ◇ ◇
余力ではあれど情勢はしっかり考慮して、マスクを装着しソーシャルディスタンスを心掛けてのお買い物。
まだまだ暢気にぶらり、とはできそうにない。
ほんの少しのついで買いだけれど、その「少し」が誰かの余力につながるといい。
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」