きっと祈りでできている
今日Twitterで呟いたこと。
フリートでも少し違う角度から触れた。
何かを信じられないことは、きっと楽ではないはず。何もかも疑ってしまった末に不確かなものに手を伸ばした人にも、いつか安らげる日が来るといい。
道を間違えることは誰にもある。道に迷った人、道を選び直す人をあたたかく包み込む社会であってほしい。
本当に効果が認められたものならば、「標準治療」になっているはず。
高齢化により医療費の増大が問題になっている。簡単で安価で確実な解決方法があるならば、国がまず最初に飛びつくだろう。
目には見えなくても、感じることは出来なくても、そのための余裕が微塵もない時ですら、どこかで誰かにきっと思われている。
個人として認識されていても、されていなかったとしても、より良い未来を祈っている人がどこかにいる。
そうして世の中は徐々に良くなっていく。感知出来ないくらい少しずつ、誰かの祈りが形になって届きはじめる。光は片隅を照らし、やがてゆっくり行き渡っていく。
わたしは特定の神を持たないかわりに、どの神も全否定はしない。
神を語るとするならば、むしろ、ひとりひとりの中にいる。未来を思って誰かのために祈り躓きながらも歩んでいく人、その命の中にわたしは尊さを見出している。
だから自分を大事にしてほしい。餅は餅屋、よき専門家に繋がってほしい。勝手にもそう願わずにはいられない。
祈りでこの世はできている。どんなに小さく儚い命も微かな祈りを生み出し、この世界のどこかを照らしているだろう。
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」