![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55422184/rectangle_large_type_2_a8f0c7f425bd076fd4fe7f0ee49cc1a0.jpg?width=800)
きっと祈りでできている
今日Twitterで呟いたこと。
フリートでも少し違う角度から触れた。
何かを信じられないことは、きっと楽ではないはず。何もかも疑ってしまった末に不確かなものに手を伸ばした人にも、いつか安らげる日が来るといい。
道を間違えることは誰にもある。道に迷った人、道を選び直す人をあたたかく包み込む社会であってほしい。
450人の医師により新型コロナワクチン接種中止の嘆願書が出されたそうだけれど、医師全体の数を知っていればどれほど支持されていないのかは察しがつくと思うの。
— なつめ (@natsumex0087) June 24, 2021
それはそれとして個人的には、オーソモレキュラーや波動医学や気功といったご関係の方に、感染症分野のご判断を任せたいとは思わないな。
本当に効果が認められたものならば、「標準治療」になっているはず。
高齢化により医療費の増大が問題になっている。簡単で安価で確実な解決方法があるならば、国がまず最初に飛びつくだろう。
目には見えなくても、感じることは出来なくても、そのための余裕が微塵もない時ですら、どこかで誰かにきっと思われている。
個人として認識されていても、されていなかったとしても、より良い未来を祈っている人がどこかにいる。
そうして世の中は徐々に良くなっていく。感知出来ないくらい少しずつ、誰かの祈りが形になって届きはじめる。光は片隅を照らし、やがてゆっくり行き渡っていく。
わたしは特定の神を持たないかわりに、どの神も全否定はしない。
神を語るとするならば、むしろ、ひとりひとりの中にいる。未来を思って誰かのために祈り躓きながらも歩んでいく人、その命の中にわたしは尊さを見出している。
だから自分を大事にしてほしい。餅は餅屋、よき専門家に繋がってほしい。勝手にもそう願わずにはいられない。
祈りでこの世はできている。どんなに小さく儚い命も微かな祈りを生み出し、この世界のどこかを照らしているだろう。
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」