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認知は必要か(しれっと線を引いておくことについて)

「先生ったら私の顔なんて覚えてないのよ」という会話、おそらく病人界隈あるあるなのだろうけれど定期的に見かける。

気持ちはわかる。わかりみが深い。
診察の3日後に「お久しぶりです」と爽やかな笑顔で言われたその時。ノリツッコミ待ちなのか優しくうふふが正解なのか選択を迷いつつ、流石に一抹の寂しさもなかったとは言わない。

でも、あくまで私見にはなるが、常々思っていることがある。医師からの認知、それは、本当はわたしがどの程度大事にすべきことなのだろうかと。

 
 ◇ ◇ ◇
 

まず、医師から見える自分は「大勢いる患者のうちのひとり」であるということ。これは事実。
患者であるわたしから見れば、主治医はその診療科ごとにひとり(担当医は数名)だが、逆に医師から見たらどうだろうか?
診察時間がひとり10分あったとしても、1時間に6人。単純に8時間で48人。オペがあればここから人数は減るだろうが、外来の合間や後に病棟回診があれば診る患者は増える。
これが毎日、そのうちの、わたしというひとりだ。

色濃く覚えているとしたら、頻繁に顔をあわせているか、重症例、または希少症例なのではないか。
例外的に病院の外で知り合いになった医師なら「あっ、どうも!」にもなるだろうが、個性によるならばかなり、いや相当アクが強くないと覚えていないのでは・・・・・・などとつい思ってしまう。もしくは、絶世の美女とか?

 
 ◇ ◇ ◇ 
 

閑話休題。

もしも治療に必要な情報ならば、カルテに記載(入力)しているだろうと思う。
それ以外の労力を求めてしまうのは、そこに人と人がいるからであって、これはむしろ人情に近い話ではないだろうか。

顔を覚えてほしい、個人として強く認識してほしいという気持ちは、どこかファンとスターの関係にも似ている。
推しに認知されたい、覚えていてほしい。あわよくば、仲良くなりたい。

これがラポール形成の範疇なら、いい。信頼関係は治療を受けるにあたってとても大切なものだと思う。
だが、弱いところをさらけ出して治してもらうという特別な場所で、しかも恩人という強い気持ちが生ずることに目を向けたい。信頼という感情が、違う色を帯びてしまう可能性があることに気をつけなければならないからだ。

冒頭のような言葉を耳にすると、僅かばかりドキッとしてしまうのだ。必要以上に密接さを求めてはいないか。場合によっては、陽性転移や陰性転移を起こしてなどいないか。相手は感情があるひとりの人間。医師である前に一個人であることや立場の違いを、よもや少し忘れかけているのではないかと、幾分心配になってしまう。

不安、辛い、わからない。そんな感情を盾にすれば、きっとどこまでも寄りかかれてしまう。
その重みに耐えるのは誰か。しかも、寄りかかるのはひとりだけじゃない。
モンスターペイシェントのように極端ではなくとも、窮地に追い込まれたら、わたしもいつしか「ちょっと困ったひと」になってしまうかも知れない。
そうならないように、キュッと自らを引き締める。

椅子と椅子の間、そこに患者がグイッと一本の線を引くことを予め意識しておくだけで、医療を医療としてよりきちんと受け取れるのではないか。時折、そんなことを思う。
他者との違いを知ることは、慮ることへの第一歩なのだから。

 
 ◇ ◇ ◇
 

患者であるわたしにとっては大切で、医師にとってはさほど大切とは感じないことも、きっとある。
例えば、わたしは付き添いも病人であることが殆ど。中には説明時などに精神的なストレスをかけたくない人もいる。
そうした「わたしの外にあるけれどわたしにとっては大切な情報」は、覚えられていないならば──いや、記載されていないならば、わたしが必要の都度伝えればそれでいいと思っている。
その負担はわたしがきっちり持つ。

医師だって人間だ。激務の中、毎日たくさんの患者を前に、ひとりひとりが投げかけるものを背負おうとして感情をすり減らしていくうちに、burnout syndrome(燃え尽き症候群)にならないとも限らない。

勿論、プロだから匙加減は素人などに心配されなくとも重々おわかりかとも思う。ただ、かつてわたしと向き合って座った医師は、自ら彼岸へ旅立ってしまわれたと伝え聞いた。理由がどこにあったのか、本当のところをわたしは知らない。だが、ずっと気にかかっている。
向かい合わせに座る「医師と患者」が、もし度重なる辛いやりとりや感情のすれ違いを理由として「患者と患者」になってしまったなら、これはわたしにとっては悲しいことだ。
回避したい。

 
 ◇ ◇ ◇ 

診察の3日後に「お久しぶりです」と爽やかな笑顔で言われたその時。わたしは冗談めかして言った。
「うふふ、あら先生、一日千秋でした?」
「ああ、なつめさん、本当だ!前回は3日前でしたね!」
残念そうにも、嫌みっぽくもならないように。こちらからの配慮を悟られないように。病気とストレスは切り離せないのならば、せめてストレスの少ない関係でいられるように。
そうして笑顔でしれっと、グイッと線を引く。

 
 
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勿論覚えてくださっていたら(そしてそれがいい意味であれば)、とても光栄なこと。 
忘れてしまっても、大丈夫。わたしはみんな覚えているから。
過剰ではない範囲で、よい患者、感じのよい人でありたい。よい距離感を保つことは、きっと相手がどなたであれ大事なこと。礼儀や敬意は、出来るだけ大切にしたい。
そして、自分のことでいっぱいいっぱいになっているギリギリの患者さんが、その分少しでも多くを得られたらと、そう思います。

 

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」