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見えない物を見ようとする誤解
わたしが昔からよく知る人の話をする。
自分のことではないから、ざっくりとした書き方にはなる。
その人、Aさんにはがんを患う家族のBさんがいた。
Bさんはギターが弾けて、すらっとしていて、口数は少ないけれど優しい人だった。
まだ若くて、でも長く患って、先進医療も試した。
そして、旅立ってしまった。
Bさんの闘病中、Aさんは酷い言葉を投げつけていたと聞いた。
Aね、Bにもう死んじまえって言うんだよ。
人伝にそう聞いた瞬間、胸の奥が熱く沸騰するような怒りの気持ちを覚えた。
でも同時に、それは果たして本音だったろうかと、そうも思ってしまった。
沸騰した感情は冷えて、みるみる氷と化した。
人伝だから、ニュアンスはわからない。
でも、Aさんの苛烈な部分はよく話に聞いてきたし、口が悪い上にお酒で増幅する人だから、多分それなりに激しかったのだろうとも一応の想像はつく。
ふたりは反りがあわなかったことも知っている。
Aさんも、Bさんも、わたしには穏やかだった。
気付いた時にはふたりはもうそれなりに不仲で、どうしてそうなってしまったのだろうとずっと思っていた。
Bさんの葬儀、Aさんはいつもどおりの口調だった。
でも僅かに、喪服の背中が小さく見えた。
もしかしたら。
彼なりに、失うことが怖かったのかも知れない。
その時、ぼんやりとそう思った。
激しいAさんと、優しいBさんの間に、取り返しのつかないような深い溝があったとしても──わたしは、Aさんの全てを知っているわけではない。
上手く通じ合えていたならば、言葉が真っ直ぐにのびていけたならば、闘病があれほど長く苦しいものでなかったならば、「効く」とうたった紛い物に翻弄されていなかったならば。
幾ら考えてもその未来はない。
でもきっと、Aさんの本当の気持ちなんて、他の人にはわかりっこないのだ。Bさんとの関係がどう変化したのか、していなかったのかも含めて。
どこまで行っても、彷徨っても。
いま、Aさんはがんと闘っている。
Bさんに投げた言葉を反芻してはいないか、病気以上の苦しみに苛まれてはいないか、そんなことが気がかりでいる。
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誰が為に。|なつめ @natsumex0087 #note https://note.mu/natsumex0084/n/ne37e845a6ee5
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」