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ごめんね、理由にはなれない

 どうしてなのだろう、という気持ちは誰にだって普通にあるものなんじゃないかな。
 がんになったら──いやがんだけではない、きっと大きめの病気になったらね。

 「○○が原因なんじゃないの?」
 「○○だったから仕方ないのかもね」
 そう投げかけてくる人は結構いて、そのたびに、相手にあわせた最適な答えを導き出すのにちょっと苦労する。
 心底面倒ならば、さあどうかな、なんて濁したりすればきっと楽なのだろうけれど。でもそうは出来なくて、結局がんという病気についての幾つかの受け売りを、ちょっぴり説明してしまったりする。

 多分正しい答えなんて求めてはいなかったりするのだろうとも、実のところ思ってしまう。

 身近な人ががんになって、その人を間近に見て、何となく「がんとの距離」がぐっと近くなったように感じるのではないかな。
 自分とがんとの間に、距離を置きたい。
 そりゃあそうだよね、誰だってがんになりたいなんて思わない。

 まだ年老いてはいないのに、とか。野菜が好きなのになあ、とか。お酒飲まないのに、煙草も吸わないのに。
 普段わたしを見ている人ならば、そんなふうに不安を募らせていくのも、無理はない。
 自分との共通点、自分よりも気をつけていそうなこと、そんなものを見つけたら心配になるよね。だから、他に理由を求めたくなるなら、無理はないよなあとも思うんだ。

 でも、それは正しくはない。
 理由なんて、特定できないのだから。

 もし仮に、正しくはなくても「そうかもね」なんて肯定してしまえば、その人はもし自らががんになったら理由を探して彷徨うだろう。
 それは一時の気休めにはなっても、結局のところ、時間をたっぷりかけた呪いでしかない。

 ごめんね、あなたが安心するための理由にはなれない。
 だから逃げないで欲しい。検診や、セルフチェックや、体調不良を誤魔化そうとする気持ちから。それと、周りにほんの少しだけ注意してみることも。


 あなたが「気をつけていて良かった」のきっかけには、なれたらいいなと思うんだ。

 

 ◇ ◇ ◇
  

 こういう、たとえ無意識でも患者を自責に追い込んでしまう質問は、時に質問者自身にも跳ね返ってくるから良くないと思う。
 世の中にはわからないこともある。
 「わからないことがあること」が「わかる」人のほうが、きっと楽にいられるような気がする。

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」