見出し画像

夕暮れとギター、そして寂寞

 裏口を抜けると、ちいさいながら古井戸と植栽をそなえた美しい中庭がある。その先が祖母の家だった。
 中庭の手前、敷地内には伯父一家が住まう家があり、そこでいとこたちとくだらない話をするのがお決まりだったように記憶している。
 従兄弟のひとりはアコースティックギターが弾けた。鍵盤と歌、あとは作詞をする人がいるくらいのメンバーの中で弦は珍しく、夕刻の縁側で頬杖ついて足をゆらゆらさせながら聴いたのをよく覚えている。

 ひとりも欠けることはないと思っていた。懐かしい思い出。無邪気にケーキなど買いに行ったり、駄菓子屋の生き残りみたいな店で好きなものを選んだり。

 

 メディアの中の人間だった頃、ひよっこの下っ端はほんとうに色々な番組につくもので、音楽番組も自治体広報番組も経済番組にもわたしはいた。
 そんな中に所謂企業やプロフェッショナルを紹介するものがあり、これが大株主一社提供だけに力の入ったプログラムだった。プロフェッショナルといっても世は千差万別だが所謂ガチ、経済なら日銀からゲストがおいでになるといった具合だ。番組には大きく分けて3つのパートがあり、プロフェッショナルは真ん中のパートで専門的な知識をわかりやすく話す。医療回ならば人選はいかにバズったかではなく、日本医師会所属学会の長年地域に貢献している医師が自らプレゼンを用意し解説もする。ちょうど、内容的にもいまでいうところの「SNS医療のカタチONLINE」が挟まったような構成だった。
 当然標準治療の大切さや検診の大切さ、病院という場所は怖くないということも丁寧に伝えるようなもの。
 見ておいてほしかったんだよな、それを。アコースティックギターの彼に。

 

 やがて年月を重ね彼はがんになり、それはとても珍しいがんだったがためにきっとつらさもひとしおだったのではないかと思う、正しくない情報を掴んでしまった。
 治療で見た目に影響が出て。
 「しかも薬でこんなぶくぶくに浮腫むし、ひどいもんだよな。」
 自嘲気味に言うのだ。それでわたしは、もうどうにも切ないのだけれど笑って、
 「元がいいんだから、大丈夫よ。」
 と言った。ある夏、お盆休みのことだ。そうしたら、ブブッとふき出して笑う。それから真っ直ぐに
 「おまえは大丈夫か?」
 まだ体調不良の理由もわからなくて、告知もされていない時だ。彼は余命の話もされていた頃だ。
 具合悪いだなんて大袈裟じゃないの、なんて言われてさえいたあの頃、彼の優しさは一生忘れない。笑顔が脳裏にしっかりとある。
 彼が若くして亡くなったとき、標準治療ではないものに手を伸ばした結果、治る可能性の高いものが治らなくなっていたことを知った。
 わたしのがんがわかったのは、ほどなくしてのことだ。
 


 ああわたしの仕事って、こんなに身近でも役立てなかったんだなあと思ってしまった。仕方のないことだけれど、もう戻らない。なんたる無力。
 ただでさえ、ものすごく労力をかけて真摯に大事につくっても、有名人気ゲストと派手なセットとやりすぎくらいのテロップと話題のお洒落ネタの前にはかなわないというつらさが、ローカル制作番組にはある。
 良質の教養モノやドキュメント、いわゆる敷居高めと思われがちな分野あるある、丁寧に楽しくわかりやすいコンテンツにしても派手さに負けてしまう。そうしたコンテンツも思考と時間と人手をたくさんかけて作られていて、誰かを笑顔にしたり会話のもとになるのはわかっている。八つ当たりするつもりは毛頭ない。ただ、時折そこに含まれる根拠の薄い情報にうなだれるだけ。
 いまだと放送法に縛られない配信にやられてしまう。かなしいことだが現実だ。
 
 他方で、世の中の真面目にやっている医師が不確かな情報が含まれるコンテンツを例にあげては「テレビは見るな」と十把一絡げに言うたび、心をグサグサと刺されるような気持ちだった。
 真面目にメディア発信をやっている医師も制作者も、後ろから蜂の巣のように撃たれていたんだよな。いつも。
 わたしはキャリアも半端で職をおりたけれど、長年尽力してきた人はさぞつらかっただろうと思う。いや、今もそうかもしれない。わたしも罹患がわかったあと、同じ言葉をかけられたから。
 ひたむきに真摯に生きているならば、立場を問わず、病の前にあっては程度はともあれみな等しくしんどいのだろう。それは他と比べうるものでも、比べていいものでもないのだ。かたちの違うつらさが無数に存在する。

 

 わたしの一部分はまだあの時間のあの縁側にいて、元気だった頃の彼がアコースティックギターを弾くのを頬杖つきながら聴いているような気が、時々する。
 その頃はわたしも幼くて、やがて自分ががんになるなんて、想像はしても確信で思ってなどいなかった。
   
 健康なうちに、確かな情報に触れていることは大事だと思う。その確かさは、プラットフォームで決まるのでも話題性で決まるのでもない。あくまでも内容だ。正しいものこそ対立や分断や嘲笑ではなく、やさしくあってほしい。
 つらいとき、人は違うものにすがってしまわないとも限らない。それは本人が何か足りてないとか悪いとかでは全然ない。
 何よりいちばん大事なのは、自分を実際に診てくれている主治医や医療スタッフとの信頼関係、コミュニケーションだということも知っていてほしい。いま生きている人たちにこそ。
 

 弱っていくのがつらくて、忙しさにかまけて殆どお見舞いに行けなくてごめん。
 脳内出血で記憶という能力を失ってしまったとき、それでも会いに行ってしまってごめん。知らない人が何人も来たら、怖いよね。
 亡くなった夜、危篤なのに夢に出てきてくれてありがとう。やっと元気な姿で嬉しかったけれど、遅れて間に合わなくてごめん。
 あの時言いたかっただろう言葉、なんとなくこれかなとは思うけれどまだ探している。

 何もできなくて、ごめん。でも覚えておくことくらいならできる。こうしてまた書くのは躊躇した、ブログのひとつのように扱うつもりではなかったから。ただ、書かれたものも記憶のかたちならば、わたしはそれをとどめておきたかった。

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」