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メッセージ?

 「ガンは身体からのメッセージ」
 そんな言葉が躍る健康法の書籍を目にして、なんともやりきれない気持ちになった。例によって「これだけしていれば万病に効くから大丈夫系」の書籍という。気分も時間も無駄に使いたくないので、これからもきっと手に取ることはないだろう。

 「前向きな言葉だからいいでしょ」という類のものじゃない。
 勿論、自分でつとめてそうポジティブに思い込むことは、別に好きにすればいい。周りや無関係の第三者が言うと受け取れる意味が違ってくるのだ。
 「悪くなった理由があるから病気になったのだ、だからこそ身体がメッセージを出した」と当事者を追い詰める、とてつもない責め苦になってしまうから。そしてこれは、がんに限らず病気あるあるでもある。

 患者を取り巻く人が言ってしまうのは、まあわからなくもない。目の前に形を伴った不安がいるわけだ。「自分とは違うんだ」と思い込みたい気持ちはわからなくはない。動揺や不安を誰かにぶつけることがいいこととは全く思わないが、人はそんなに上手く出来ていないだろう。逆にいいことを言おうとして思い切り転けたり余計になるのも、ありがちなことだ。

 ただ、うっかりそう思い込んだままいると偽の安心で不調を見逃してしまうかも知れないから、ただ普通に生きている中でも細胞のミスコピーで罹患する話はする。そして自治体や職場の検診には行ってね、症状あったら受診してねと話す。
 例え病院が怖いとしても、長期放置のほうが余程怖いことを知っていればこそ。
 
 だが不安を食い物にしている人の「身体からのメッセージ」というのは本当に良くないのだ。「これさえしていれば大丈夫」なんて、所詮科学的な裏付けのない嘘っぱちなのだから。
 縋った希望に裏切られることの意味を、わたしは思う。一時の夢としては、あまりに大きな代償を伴うことがあるから。それで失われた命をわたしは知っている。

 「起こることには必ず理由がある」という言葉も、どん底の人には地獄のようにキツいかもよ──人生がそこそこちゃんとそれなりに回っている時の受信と、そうでない時は違う。そして人生に絶対はない。

 一歩踏み外せば転げ落ちて命を落とす、人間もそんなか弱い生き物だ。生は運ではじまり、終わりは定められた必然。合間は偶然と曖昧さに満ちている。唐突にして当事者には意味をなさない不運も、何がしかの意味を見出さなければ遣りきれないようなことも満ちている。神にも救世主にもなれない。万能の回避策はない。
 だが、己をいたずらに大きく見せたりせず愚直に歩むことはできる。その真っ直ぐさをこそ、わたしは尊いと思うのだ。

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」