アノニマス

 音楽ファンでいると、時々「アノニマスでいいよな」としみじみ思うことがある。

 色々な人に覚えていただけたり、声を掛けていただけるのは嬉しい。それがプラスの感情であれば。誰かと楽しめるのは、すてきなことだ。
 ただ、いちリスナーとしての自分はつとめてアノニマスだと思う。もしくは、モブキャラ。

 爆発的に売れている人もこれからの人も、ファンが売り出し方──つまりプロモーション戦略にやきもきしたり、チケットの売れ筋に一喜一憂するのは少しズレていると思っている。レコード会社スタッフワナビーみたいなムーヴは、ちょっとノーサンキューだな。少なくとも、わたしはしない。
 
 売れるためにこうしましょう、売れていないからこうしましょう、なんていうのはA&Rさんやプロモーターさんがプロフェッショナルの仕事として、日々経験を元に考えて頑張っていることであって、いちファンがそこに首を突っ込むのはどうしようもなく野暮だ。プロフェッショナルを信じていないことになる。ひいては、自分のすきなミュージシャンのことも信頼していないようなもの。
 プライドって、あると思う。それを大事に出来たらうれしいよね。愛情の使い方を履き違えないでいられたらいい。

 もし本当にフィジカル売上やチケットを何とかしたいなら、赤の他人に「ああしろ、こうしろ」と言うのではなくて、自分で複数枚買い取って配るほうがよほどスマート。押し付けるのはよくないけれど、興味がありそうな人がいたならそうすればいい。
 「わたしはこれだけお金を使ってこうしました」なんてわざわざ声高に宣言する必要もない。誰と競うことなく、粛々とただそうすればいい。

 古参ムーヴというか、「発信力がある人にこうやって発信してほしい」みたいなのも、たまにあるけれど全然ぴんとこない。ツイートや記事の批判や論評、よくわからない。無料でやっていることに、タダ乗りでビジネス性を求めないでほしい。元々お金を貰って原稿を書く人間だったので、相応のお支払いをいただけるなら話は別だけれど。
 そもそも、他人の発言や発信は他人のもの。自分の思い通りにしようとか、自分の気に入らないところを指摘しようとか、そういうのは強権支配的だなあと思う。その権利を誰かから与えられたならまだしも、そうでないならば「それ、音楽を楽しむためには雑音じゃない?」って思う。
 なにより、悪感情はかえってファンを減らすよね。

 優れたファンとかよくないファンとか、そうした括りで考えたくはないけれど、それでも思うのは「ひとりいたらリスナーが5人増えるのがいいファン」ということ。これは長年の友人で音楽ファンである人と話していたことだけれど、「ひとりいたら5人減るような振る舞いはしたくないよね」って。
 そこに発言力なんて必要ない。ただただ楽しむ姿を、まわりに見せればいい。楽しいところにこそ人は集まる。ハッピーをシェアする人にも人は集まる。集まった人たちが、ハッピーをまた伝播させる。
 つまりはそういうことだと思うな。そこに名前なんていらない。評価される必要もない。気負う必要なんてない。無数の中のひとり、アノニマスでいいんだ。


なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」