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イン・アウト 紡ぐための場所

Twitterアカウントで乳がんというひとつの体験を文字にしてきたわたしが、noteを選んだのにはわけがある。

DCIS(非浸潤乳管がん)の告知から全摘手術、そして数回にわたる再建手術へ。その中で色々なことを思い、考えてきた。
たまには振り返って、思考の推移をじっくり眺めたくなる時もある。

Twitterでは彼方へ流れてしまう文字、それらを掘り起こすのはなかなか厄介だ。長い検索ワードを間違えずに打って、期間を指定して・・・・・・。
ああ、面倒くさい。

面倒臭いは狂うスイッチなどと言われるが、面倒くさいものは面倒くさいのだ。

主治医は言った。
「なつめさん、ブログしてみればいいのに。」

うーん、とわたしは小さく唸った。
闘病ブログか。頭に浮かんだのは、幾つかの大手ブログプラットフォーム。中には、かつてブログを開設していたプラットフォームもある。

それが悪いわけではない。実際わたしもその幾つかを巡って読ませていただいた。
でも、だ。
治療についての詳細を記せば、その内容を目にした誰かの動揺や誤解を招くかも知れない。常にアップデートされていく医療との齟齬、つまり古くなって相違が生まれる。そのたびに躍起になって追記を繰り返すほどには、マメではないな。
でもカテゴリーは「闘病ブログ」になるのだろうし、否応なしにランキングとやらをつけられる。

・・・・・・向かないなあ。それ。

そうして時が経ち、ふらふらと出会ったのがnoteだった。

noteはいい。予め自らをカテゴライズしなくてもいい。何を書いても許されるような、独特のやわらかさがある。
病気について考えたことや感じたことを纏めてもいいし、明くる日は違うことだけを見つめてもいい。
そして、ここならば言葉の流れをせき止めておける。
紡ぐための場所として、こんなに適当な場所はそうそうないだろう。

膨大にインプットしてきたものたちをアウトプットして、言葉を文章へと織り上げていく。
元々地味な作業だ。プラットフォームに派手さは要らない。
そしてまた、このnoteで出会った数々の素晴らしい文章から感じたことも、いつかわたしの血肉になる。そうしてまた、インとアウトを繰り返す。

わたしはnoteが好きだ。文章を書くならば、やはり静謐さが必要だと思うのだ。

 

いちサバイバーから見た日常を綴っています。

それは割引しなくていい。|なつめ @natsumex0087 #note https://note.mu/natsumex0084/n/n6ae632d0b3d0
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なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」