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「なつめ」になった日。

Twitterは「なつめ」がはじめてじゃない。
最初のアカウントはTwitter黎明期に開設した。その頃は見知った相手ともやりとりをするような使い方で、今はもう開店休業だ。

2番目のアカウントは趣味用のサブ運用。・・・・・・そのはずだったが、結局雑多に。FF数が少ないわりになぜか時折ツイートがぐんぐん伸び、様々な発言が飛び込んでくるアカウントだった。相談を受けたり、意見を求められることもしばしばあった。

乳がんになった。

さて、とわたしは考えた。指を動かし、新しいアカウントをつくる。
なつめ。勢い余ってアカウントつくるマン。そう書いた。がんがわかって、すぐに開設した。小さな頭に張り巡らされた思考回路が、なかなかの仕事をしてくれた。

なぜなのか。

2番目のアカウントで情報を得ようとすることもできる。発言すればそれなりにレスポンスを期待できる。でも、そこで動けばそれまでのように、何がしかの相談が舞い込むことも容易に予測できた。

こりゃ、あかん。

わたしはその道のプロじゃない。資格を取るために、専門分野の他にちょっと心理学をかじったくらいで、医療のプロでもカウンセリングのプロでもない。
誰かの重荷を背負ったり、何かをジャッジする立場にはないのだ。
──中途半端が一番いけない。

わたしにできることは、ごく限られている。ただ話を聞き、ちょっと重荷を下ろして休むための手伝いをするくらいだ。場所は用意できても、それ以上はプロの役割だ。プロのいる場所に導くことはできても、そのものにはなれない。
素人が気軽に手を出していい分野ではないことは、「大学でちょっと心理を学んだ程度」つまりほぼ素人のわたしにもわかる。自分の領分を知ることは、重く大切なことだ。

腫瘍精神科という科がある。

腫瘍精神科(または精神腫瘍科)。聞き慣れないが、つまり独立した科が存在するくらいに、がん患者は心も辛くなりやすいのだ。そしてがんと一口に言っても、その病態や及ぼす影響は多様だ。ひとりひとりのバックグラウンドだって、それぞれに違う。

がん患者だけではない。病気、特に重い病気は精神にも影響を及ぼすことがある。

病院には主治医がいる。患者のための相談窓口や支援センターもある。守秘義務もある。
本当に辛いときはプロを頼るといい。患ったことに端を発する生活上の悩みも、そこが一番頼りになるはずだ。

わたしはプロじゃない。見知らぬ誰かの人生に責任を持てない。わたしの承認欲求や社会性は、他で満たされるべきだ。
わたしはわたしを生きる。あなたはあなたを生きる。
誠実であるために、わたしは「なつめ」になった。

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」