Au revoir
不思議な人だった。
はじめ彼女とわたしは「親切な案内係の方」と「普通の利用客」で、何となく仲良く言葉を交わすようになった。
ありふれた光景だ。よくあることだ。何故か公共施設やお店の方に親しく話し掛けられることの多いわたしにとって、お会いすると何となくうれしい方のひとり。
場面は変わり、わたしのフィールドに彼女があらわれた。
「なつめさんですよね?」
「ああ、あなたは!」
よくわたしの名前を覚えてくださっていたな、とびっくりした。何かを約束するような間柄ではなかったけれど、ここでも時折顔を合わせれば会話を交わすようになった。
程良い距離で、心地良い言葉をキャッチボールするだけ。居なくならないかわりに、殊更近付くこともなく。
やがて、わたしのがんが判明した。
しばらく顔を合わせなかったのを、彼女は不思議に思っていたらしい。でも特に伝えるようなこともない。なにより、プライベートの連絡先も交わしていないのだから。
「何かあったんですか?」
「ええ、ちょっと体調を崩して。」
名付けるのも迷うような浅い関係で諸々を詳らかにするのは、オープンなわたしでも躊躇われた。
少し時間を置いて、彼女ががんになった。
「実はね」から唐突にはじまった打ち明け話は芳しくない病状を色濃く滲ませるもので、わたしはどのような顔をしてよいのか暫し窮した。
ともにがんサバイバーとなったとはいえ、しかし置かれた場所は全く異なる。わたしは早期発見で治療済みの身。彼女は予後の難しいがんで、話から察するにおそらく相当進んでいた。
「実はね、わたしの体調不良もがんが理由で。」
そんな風に考える必要はないのに、その時のわたしには、自分だけ何も言わないことがひどく狡いような気がしたのだ。口を開いたものの、とめどなく続く逡巡。
どこなの?ここ、実は全摘なの。えっ。今は経過観察、それに別の病気で治療中。なんてこと、それは大変だったね。
どんどん寂しくなってきた。これは袋小路だ。わたしが何を言おうと、隠そうと、きっとすれ違ってしまう。彼女がつらくなっていく。
でも彼女は想像と違う表情を見せた。
きっと、誰かに話を聞いて欲しかったのだろう。再び語り出した彼女はいつになく饒舌で、わたしは耳と心を傾けた。
穏やかなやりとりだった。どちらがつらいとか、ひどいとか、軽くていいねとか、可哀想の連呼とか、そういう何かが互いを隔てることはひとつもなかった。わたしは察した。この打ち合け話には、経験を伝えるという意味もあったのだと思う。
それぞれの直面するものを、ただ見つめていられた。互いに打ち明け、聞いて、そっと側にあること──おそらくいちばん難しいことが、すんなりとそこにあった。気持ちが通じているのが空気でわかる、そういう時間だった。わたしたちの状況は大きく隔たりのあるはずなのに、とても、とても近かった。
わたしたちは互いの健闘を祈って別れた。
そのあと3回ほど、短い時間お会いしたと記憶している。
「じゃあ、これで。」
「では、また!」
また、の一言にこっそり願いを忍ばせた声に、いい笑顔を返してくれた。幸福に満ちた美しいポートレートのような笑顔で、去りゆく背中から目が離せなかった。あまりに眩しくて、家に帰ったあとわたしは静かに泣いた。
それが最後だった。
友達と呼ぶにはどこか遠い、ほんの少しふたつの道が交わっただけ、それでいて充分に足りているかのように強く胸に残る。
振り返ってみれば、いつも笑顔だった。あの笑顔は、つとめて笑顔であることを選択した強さは、きっと彼女の優しさの結晶だったのだろう。
不思議な人だった。不思議なほどに凛とした、とても素敵な人だった。
◇ ◇ ◇
文章にすることも迷ったけれど、この気持ちを覚えておきたかった。人は忘れてしまうものだから。
どうか安らかに。
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」