読書の思い出(中学生〜高校生編)
どうも、なつめりお です。
読書の話の続きをしようと思います。
前回の話はこちら↓
中学生
中学校に入ってから夏休みの課題に「読書感想文」がありました。小学生の頃は作文でいくつかテーマを選べたので読書感想文を一回も書かずに卒業できるルートもあったわけです(わたしは読書感想文に対して苦手意識を持っていたので書かずに小学校を卒業しています)。
と、いうことで、「読書感想文を提出必須になってしまったからには本をちゃんと読まなくてはいけない。でも何を読めば・・・」と思っていたわけです。そんな時に部活の先輩からおすすめされた本がありました。
それが森絵都さんの『カラフル』です。
「読書感想文書くにもおすすめ」と言われて単純だったわたしは書店にそれをわざわざ探しに行きました(借りなかったのは期限内に読み切れる気がしなかったからです)。
黄色い表紙なのにタイトルが「カラフル」ってどういうことなんだろ〜なんて思いながら購入し読み始めました。
多分わたしは小説を読む楽しさを知ったのはここからです。どんどんのめり込んでいってちゃんと読み切ることができました。その後、苦戦しつつも読書感想文を書いて最終的に市内の中学校の文集にも載りました。
『カラフル』をきっかけに森絵都さんが書いた他の本を読み始めました。
『DIVE!!』は読んでいてワクワクしました。映画も観ました。
あと、あさのあつこさんの『バッテリー』もこの頃でしょうか。父親が小説を買っていたので勧められたものを読み始めました。
今思えば、中学校では図書室にはあまり行かずに本を読んでいたと思います。とにかく家にあった本で気になったら読む・・・みたいなことを繰り返していました。
中学校のクラスは小学校に比べるとかなり荒れていて(メンツはほとんど変わっていないけど)あまり居心地が好きではなかったのと、勉強の息抜き(逃げ)のように本に没頭して行きました。
朝の読書の時間はもちろんですが、それよりも早く来てずっと読んでいたし、授業間の10分休みもずっと小説を読んでいました。
活字を読むのが好きと言えるほどではないけれど、本を読むことで荒んだ心が救われていたんです。厄介な人間関係は読書でシャットアウトしてました(いいのか・・・?)
中学2年生の頃は有川浩さんの『阪急電車』を読み、そのまま『図書館戦争』『植物図鑑』自衛隊三部作(『塩の街』が1番好きかもしれない)など読むようになりました。どれも好きだな〜。小説でキュンキュンするってこういうことなんだな〜と思いました。
中2の夏休みの読書感想文で読んだのは『西の魔女が死んだ』でした。
とにかく逃げたかった自分にとっては心に刺さるお話でした。あの時だからこそ共感できたのだろうな。
中3になるとまぁ受験勉強のことも考えなきゃいけなかったのですが相変わらず逃げのような気持ちで本は読み続けていました。
この頃は父親に薦められた道尾秀介さんの『カラスの親指』を読み、そのままハマって他の作品も読んでいた気がします。「ミステリー怖いなー嫌だなー」という偏見を持っていたわたしを変えてくれた作品たちです(まぁ怖いところもあるけど)。
父親チョイスの本を読んでいただけなので読んだものはこのくらい(背の眼はシリーズだったので他のも読んでいます)。
中3の夏休みに書いた読書感想文で読んだのは『博士の愛した数式』でした。
そう思うと3年間王道な作品から選んで書いてたんだな〜と思います。どれも好きです。この本も数式の話か〜と思ってたら全然そんなことないじゃんってなって荒んだ心が温かくなるというか・・・よかったですね(語彙力がない感想文)。
あと、今までで1番はやく読めた作品がこちら
湊かなえさんの『告白』です。怖いんですけど爆速で読み終えました(とはいえ3日はかかっている)。
中学時代が1番本にのめり込んでいたのですが、家ではほとんど読書していません。学校や受験前だけ行っていた塾の隙間時間を埋めるための息抜きとしてだったので「読書=学校の机」がわたしにとって1番適した本を読む場所でした。
家だと、学校にもっていけない漫画を読んだり録画していたアニメをみちゃうんですよね・・・(それはそれで楽しいオタク生活を送っていたのでいいんですけど)。
他にも思い出せる限り読んだ本のリンクを載せておきます。
『神様のカルテ』は映画も含め、とても好きな作品です。
高校生
高校に入ると休み時間に本を読む習慣がなくなって友だちと話すようになりました。人間関係が良好だったんですよね。はい。
小説はなんらか持ち歩いてはいた気がするのですがあまりにも読み進められないので読んだ数は数えられるほどです・・・。
高校入ってから確実に読んだ(であろう)本
映画で大ちゃん(大野智)が主演やってたからという理由で借りた『忍びの国』ですが、読むのが難しくてすっ飛ばしてしまった気がします・・・。すみません・・・。
ビリギャルは実際に模試でビリになったことがあるわたしにとって、ありがたい本でした。ギャルではないんですけどね。坪田先生のファンです。
あと、小説ではないですが図書委員をやっていた時はカウンターで芸術新潮を読んでいました。あの時間はよかったですね〜雑誌が読めるのはありがたかったです。
振り返ってみると、買った本を読んでいたことのほうが借りていた本に比べて圧倒的に多いですね。どうしても借りると時間を気にしたり汚さないように気をつけてしまうからでしょうか。
あとは父親の影響ですね。そんな父親は会社の先輩から薦められた本を買ってきます。わたしが読んできた本は父親というより、父の会社の先輩がチョイスしたと言った方が正しいのかもしれません・・・w
話は変わりますが、去年受けていた「メディアとしての書物」という授業の中で
「図書館は病院のような存在でもあると思うんですよ。」
と、先生がおっしゃっていたんですよ。「めっちゃわかる〜(軽っ)」と共感しましたw
中〜高校生の頃は本を借りることはそんなに多くなかったけれど、図書館(図書室)という空間に居座る時間は好きでした。
落ち着くというか、心の休憩場所の1つというか・・・。
本が薬のような役割を果たしていた時期もあるのでそう思うのかもしれません。気が向いたらちょっと本を開いてみるのも楽しかったな〜。背表紙だけ眺めているのも楽しいですしね。
今通っている大学の図書館は専門書メインで小説はほとんど置いていません。「レポートのため」とか「作品を観たい」というはっきりとした目的で行くようになってしまったので感覚が変わりました。だから小説もあまり読まなくなってしまったのだろうか?
いや、上京してきたことで実家にあった本が読めなくなったからかもしれない。
最近は、エッセイや実用書ばかり読んでいます。それはそれで面白いです。
小説を読むことは「贅沢な時間」という認識があり、本当に暇にならない限り読まなくなってしまったように思います。読みたい欲も今はそんなになくて、父親からこの前借りた本も途中まで読んでギブアップしてしまいました・・・面白かったんですけどね。なぜか読みきれなかった。
心が枯渇している感覚はあるのでたまには中学時代読んでいた本をもう一度買って読んでみるのも面白そうだなとこの記事を書きながら思いました。
2021.04.30
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