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ときには気合が入った変人に出会いたい

「どうも似たようなことを言う人ばかりでおもしろくないな」
と、そんな思いを常に抱いてしまうような人間でした。
私は昔から人と違うことをする人、いわゆる「変人」と言われてしまうようなおかしな人が好きだったのかもしれません。

「変人」は、その辺ではなかなか出会えない希少価値のある存在だと私は思っています。私が言う「変人」は危険な人ではありません。純粋で、一生懸命で、心やさしい「変人」です。
周りから「変な人」と言われてしまう人は、社会から少しはみ出し、なかなか出会うことができません。隠れ変人になっている可能性があります。
そもそもその人は自分のことを変人だと気が付いていないことの方が多く、
周りの人たちが変人を変人扱いし、傷つけてしまわないようにと、そっとしておくこともあります。
私はそんな変人をそっと憧れの眼差しで尊敬してしまいます。
そのような私も隠れ変人気質があるのかもしれません。

そんな私には身近な家族の中にとてつもない変人がいました。
それは、私の父です。父はかなりの変人で、小さいときから今でも私や家族の日常を一瞬でぶっ壊し、時には不快にさせてきたこともありました。
でも、父がいる時間はなぜかおもしろく、やさしく、あたたかい時間でもありました。一緒にい続けると、とても疲れるのですが、いつもと同じようなつまらない日常をいい意味でぶっ壊してくれる「変人」こそ、私にとっては救世主であり、ヒーローだったのかもしれません。私にとって「変人」と過ごす時間はときどきでよかったのです。

純粋で気合が入った変人はおもしろいです。
「なんでそんなことするの?」と私が想像つかなかったことをしてきます。
全力でまっすぐに変人を生きています。そこに迷いなどありません。
本人も気が付かないゆるぎない変人のエネルギーが私のつまらなかった日常を一瞬で変えてしまいます。いい学びにもなります。
そんな父の影響で、次はどんな変人に出会えるのだろうと、実は生きてきたのかもしれません。

「変人」は他人の評価も気にしません。
だれかに気に入られたいとも思いません。
ただ純粋に一生懸命に「変人」を貫いて生きています。
でも、「変人」と毎日一緒に暮らすのはしんどいです。
だから少し離れた場所から、私は「変人」の幸せを願っています。

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