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【日曜小劇場9】ゲイカップルと知らずに話しかけてしまった夜に

新宿3丁目のとあるバーで大失態をしてしまった私。
それはカウンターの隣の男性たちを、ゲイカップルと知らずに話しかけたこと。
しかも隣の中年男性は二丁目の“ママ”で、連れの20~30代の男性はおそらく“ママ”のお気に入り、つまり恋人かもしれないのだ。
それを指摘してくれたのは、元2丁目ゲイバー“ママ”のMさんで、その夜はカウンターで接客中。いつもと同じではない新宿の夜に、過去の記憶が蘇った。

地方の大学生が黒澤明の映画を語る

 寒暖の差が激しかった4月。やっと春らしい陽気が戻ってきたある夜、かつて昭和の文豪も愛したという新宿のDへ。地下に案内されると、元2丁目ゲイバーママのMさんがカウンターから「お久しぶりね!」と愛想よくおしぼりを出してくれた。
 Mさんは私と同郷の秋田県人。Mさんは県南、私は県北と地域は違うけど、同郷のよしみなのか、それともMさんの優しい人柄のせいなのか、にこにこと笑顔を浮かべながら歓待してくれるのはとても嬉しい。

 いつものように黒生ビールを注文すると、左隣の若い男性が話しかけてくれる。新潟の大学生で、上京のたびにDに遊びに来るのだという。
「すごいね、学生時代から東京に常連の店を作るなんて」と感心すると
「たまたま入った店で、ずっと良くしてくれるからです。社会人にいろいろと教えてもらえるのは嬉しいですよ」
 地元の新潟ではなく、東京で人生勉強をしているのだという。今どきの地方の大学生は社会勉強も東京なのだろうか。人間関係で揉まれながら、大人になりたい人にとって、人種のるつぼの東京がうってつけなのだろう。
「おねえさんも良くこの店に来るのですか」
「常連の人で知り合いはいますか」
「どんな映画が好きですか」
 大学生は矢継ぎ早にどんどん質問してくる。答えながら私も彼に「どんな女性が好みなの?」「彼女はいるの?」「彼女のどんなところが好き?」と恋に関する質問をしたくなった。でも初対面の若い男性に、いきなり核心を突くような質問をしないほうがいいと私の心の中のセンサーが点滅する。そこで恋ではない別の質問に切り替えた。

「あなたは最近どんな映画を観て、感動したの?」
映画の話題は誰に対しても無難だ。お酒を飲みながら、差しさわりのない会話をするのが酒場の楽しみ方。「リベンジャーズ」とか「スラムダンク」など最近の若者に人気の作品を期待していたらーーー

「『天国と地獄』です」。

 あっさりと裏切られた。
「黒澤明監督の、山崎努が主演の誘拐映画?」
と聞き返すと、嬉しそうに「はい」と頷く。「古きを尋ねて新しきを知る」という言葉を思い出した。大学生は黒澤のファンだという。
「どのシーンが好きなの?」と尋ねると、大学生は夢中になって語り始める。
私は思わず女性大生の頃にリターンしたようなわくわく気分になったが、ふと、最近Eテレの録画で観た「黒澤明と能の世界」を思い出し、「蜘蛛巣城」や「乱」などは黒澤が愛した能の表現を映像に生かした傑作だと話したら「へえ~」と大学生は目を丸くして驚嘆する。
能を観たことがなくても、「黒澤が愛した能」に興味を覚えたのだろう。
大学生は私に「映画のスタッフだったんですか」とからかったので、「そうよ、ここDに亡霊となって飲みに来ているのよ。ジャバの酒は美味しいわ」とグラスを傾けながら返したら、大学生がくくく、と鳩が鳴くように笑った。
そして目当ての常連客がいる2階につながる階段を上がっていき、私はバーボンソーダをMさんに注文する。

ゲイカップルと知らない私に、能面のような綺麗な男が笑った。

 「黒澤が愛した能」の番組にはいくつかの能面が紹介されたが、その能面を思い出させるような顔が右から二つ目の隣にあり、私と目が合った。
 あまり表情のない若い男性は、能面特有の切れ長の目ではなく、大きな黒目をしていた。さっき中年男性と一緒にやってきて、私の隣に座った中年男性が注文したチーズをつまみながら、シェリー酒を飲んでいる。
 中年男性のごっつい指には大きなサファイアの指輪が光る。宝飾関係か、サービス業なのだろう。二人は上司と部下のように見えた。上司が注文したチーズを遠慮なく部下がつまんでいるのは、飲んだらフランクで良いという暗黙の了解があるのかもしれない。

 酔ったはずみで、私は能面のような表情の若い男性に話しかけた。「黒澤明が愛した能のよう」と言った記憶がある。すると若い男性は丸い目を大きく見開いて、嬉しそうに笑った。「能面のような人も笑うんだ」と思ったら、中年の男性が若い男性と再び話をし始めたので、私はカウンターのMさんに「おかわり」を頼んで、Mさんとお喋りをしていたら、中年男性が会計を済ませて、若い男性と一緒に階段を登っていった。

 左右の席に誰もいなくなったころ、元ゲイバーのママのMさんが「だめじゃない!」と叱咤した。なんのことかときょとんとしていたら、
「あなたの隣の人は二丁目の○○のママなの。ここに若い男を連れてくるってことは、そういうことなのよ、あんた、物書きのくせに気づかなかったの?」と心にグサッと突き刺さる真実を私に差し出したのだ。

「でもゲイって、女性から話しかけられただけで、拒否するんじゃないの?」と思わず愚問を言いそうになったので、ぐっと堪えた。
 ゲイにも様々なタイプがある。IGBTQといっても多種多様で、ひとくくりではないはず。そのことを改めて思い出した私は、さっきまでほろ酔いだった気分がさーっと冷めていった。
「二丁目のママ、私に嫉妬したのかしら?」
「気に入っている男と一緒に飲んでいた時に、会話を横やりされたわけでしょ、あんたに。そりゃあ、気分悪いわよ」と、Mさんはさらに私を叱咤する。
「しっかりしてね、ここは新宿3丁目で、2丁目はすぐ近くなの」と追い打ちをかけるMさんに、「男性の二人連れはゲイカップルかもしれないから、話しかけない方が良いのね」と私。今夜のお酒はちょっと苦いなあ。

バイセクシャルな彼女の「恋の歌」が蘇る。

 そういえば、男性から嫉妬されたくない私は、20代の頃バイセクシャルの女性の誘いを断ったことがある。彼女は私の友達でミュージシャン、中性的な雰囲気がある魅力的な女性だった。彼女が付き合っていた彼氏もミュージシャンで、私はその彼氏が大の苦手だった。
 もし彼女とセクシャルな関係になったら、苦手な男から嫉妬されるのは嫌と、彼女の誘いを断った。でもそれは言い訳で、振り返ってみると彼女とセクシャルな関係になりたくなかったのだろう。

 彼女を拒否してから少しの間、二人の関係がぎくしゃくしたのは、私が彼女のプライドを傷つけてしまったからかもしれない。失恋させてしまったことをあまり深く考えたくなかったのかもしれない。
その後、彼女が自分の恋愛を歌詞として表現していることについ羨ましくなった私は、「恋愛も職業にしているのね」の一言に、彼女が大激怒したことを思い出した。
 あの怒りは、私が彼女とのセクシャリティを否定したことに対する憤りも含まれていたのかもしれない。それほどセクシャリティに対する思いは繊細で複雑なのだ。

 あのことがあったのに、それなのに恋とセクシャリティの深い関係についてつい忘れてしまっていた私。
「最近、リアルな人と関わっていないからじゃない」とMさん。その通りかもしれないけど、コロナのせいにしたくない。いつだって、恋とセクシャリティのことを決して忘れてはいけないと思うから。

 ミュージシャンの女友達は、当時付き合っていた男と別れて、30歳を過ぎたころに年下のミュージシャンと結婚して、ライブ活動を続けている。彼女は今でも、自作自演の恋の歌を歌いながら、男も女もどちらのことも恋しているのだろうか。もう私を許してくれたのだろか。それとも……
 バーボンソーダのグラスの中で氷がパチンよクラッシュする。泡が音もなく静かに広がっていく。あの夜のお酒は、やっぱり苦かった。

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