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スリムクラブのネタを見て、自分の承認欲求と未来の息子へ思いを馳せた話

先週のクセスゴ、スリムクラブのネタが思いのほか深くて笑ってしまった。
毎回、スリムクラブのあのシリーズ好きで楽しみにしているのだけど、いつもは最後のボケで、うは~おもしろ~となるのに、今回は序盤の真栄田さん登場シーンボケでがっしり掴まれた。

「お父さんお母さんが小さいころ褒めてくれなかったから、
 今承認欲求が爆発しています。
 正論ばかり言って人に『いいね!ボタン』押してもらおうとしています。
 でも本当は、生まれただけで『いいね!ボタン』押してほしかった!」
というやつね。

結構多くの人に刺さったようで、twitterでは画像をあげた人のツイートがとってもバズっていた。
まさにtwitterみたいなSNSでは痛いくらい共感してしまう人が多そうだ。
私もやっているけれど、こじんまりと呟いているので、そこまで「いいね!ボタン」押されることも期待することもなく…。

twitterやこういうnoteのような媒体で、いいねやスキをもらえることはとても嬉しいし励みになる。特に恐る恐る始めてみたnoteで誰かが見て評価してくれたと知った時、震えるくらい嬉しかった。
投稿時間を見ると分かるのだけど、私はこの記事をいつも深夜の家族が寝静まった時間にこそこそ書いている。普段はこの家の中で、母や妻という役割で物事をこなしたり考えたりしている私が、そういう役割をそっと降ろして「私」として生きているのがこの記事であり、noteの世界で、だからここでの反応は「私」にダイレクトに届くのだと思う。

私の承認欲求はかつてほど爆発はしていなさそうだ。大体は息子によって満たされている気がする。私がいなければ生きられない存在が、常に私を頼ってきてくれる。これほどまでに承認欲求を満たすことはないかもしれない。
ここでこの充足感に味を占め、依存してしまうと、いつまでも子離れできない親になってしまうのかも。そう考えると承認欲求というのはずいぶん根深く、満たされると怖いくらい甘く、人を虜にする力があるものだ。

私の親はどんな親だったか。
強烈な毒ではなかったが、毒性がなかったとはとても言えない。妹がいなかったら、祖母がいなかったら、友達や頼れる人がいなかったら、ずるずると引きずってしまっていたかもしれない。
褒めてくれてはいたけれど、それは「生まれただけで『いいね!ボタン』」を押すようなものではなかった。私がなしえたこと、周りから受けた評価、そういう私の行動が引き起こした「よいこと」が褒める対象だった。
私の覚えている限り、何もしていない私を母や父が優しく抱きしめてくれたり、「好きだよ」「あなたはそれだけですばらしい」ということを言ってくれたりしたことはない。ポンコツ記憶力ではない妹もそう言っていたから、そうなんだと思う。

今、自分が親になって感じるのは、息子は「生まれただけで『いいね!ボタン』」の存在だということだ。
もう何連打でもする。偶数押すと消えてしまうから奇数押すけれど、どうして1いいねにしかならないのと心から落胆するほど連打する。
もしこれが今だけの感情で、息子の成長と共に忘れ去られてしまうものなのだとしたら、それはかなり恐怖だし自分に絶望する。
どうか、どうかこれだけは忘れたくない。

まだ1年足らずの経験しかない新米の親だけど、私が息子にしてやれることは思うほどないのかもしれないけれど、これから先息子が打ちひしがれたり挫折したりとにかく辛い目にあったときに、その胸にちゃんと親からもらった「いいね!ボタン」が輝いていてほしいのだ。
誰が認めてくれなくても、何度失敗したとしても、自分は親に生きているだけでいいと認められているのだから大丈夫、なんとかなるさと思ってほしい。

クセスゴ、面白くて笑える上に、自分の親との関係や息子への愛情を再確認させてくれるなんて、すさまじい番組だ。
次回9/2の2時間スペシャルも楽しみにしています。

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