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まだまだ続くステイホームの暮らしでも楽しくやりたい

ステイホームが合言葉のようになって、人々が戸惑い怯えながらも新しい生活を営み始めた頃、今振り返ってみるとそれなりに楽しくやっていたなぁと思う。

テレビの画面の中で集まってわいわいやっていた人たちが、リモートで出演するようになって、いろんな芸能人やアーティストがおうち時間の過ごし方を発信したり、豪華なリモート飲み会やリレー動画をバトンしたりしていた。一般市民もそれを見て楽しんだり真似てみたりして。

怖かったし窮屈だったけれど、その中で楽しみを見出そう、作り出そうとしていた。そういう開拓心というべきものが胸にあって、新しく見つかった面白いことがことさら面白く思えた。

そう、ひどい台風のときの過ごし方に似ていた。甚大な被害をもたらす災害になりうるのに、家の中という安全地帯にいる私は外の荒れ狂う風雨や転がっていくバケツを見てワクワクして、あらかじめ買い込んだ食料を食べながらトランプをする。停電したらここぞとばかりにろうそくを使って夜遅くまでおしゃべりをする、あの台風の日の過ごし方。

安全地帯で非日常感を味わう体験とでもいうのか、それはそれで楽しめるものだ。もうしばらく前のことのように思えるけれど、今から1年半前くらいは、そんな感覚があったのではないかと思う。

でも、台風だって毎日毎日、1年半の間ずっと来られたら困るってどころじゃないし、外の風景には慣れ、トランプにも飽きるだろう。今も同じ。さらに、私のイライラは、この状況を作り出したウィルスや無為無策に思える政治にではなく、より身近な地域の人や友達や家族に向いていて、そのことにも辟易する。嫌いな人、遠ざけたい人ばかりが増える。内へ内へと向かっていく。

もう一度、1年半前の開拓心を呼び起こしたい。状況はあの頃よりかなり悪くなっていて、もはや安全地帯の中で楽しむなんて悠長なことも言えなくなってきたけれど。何かにワクワクしていたくて、minneを果てしなく眺めてみたり、息子の誕生日企画をあれこれ考えてみたりしている。

深く深く沈み込んでしまった海の底。海面を見上げても光っているのかよく分からない。いずれここを離れて上へ上へ浮かんで、光を浴びた波間から勢いよく顔を出し胸いっぱいに空気を吸い込む。そんな夢想がまだ私の心を動かす今だから、できることはあるんじゃないかなと思う。祈るように思っている。

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