見出し画像

人間ドックを受けて受けた恩恵③

このnoteは、人間ドックを受けたら腫瘍が見つかってたじろぎながらも日常をなんとか必死に笑顔で生きている人の備忘録です。

腫瘍が見つかった初回のnoteはこちら。

その後、大学病院を紹介されて生検を受けることになり、大学病院の洗礼を受けたnoteはこちら。

今回のnoteでは、生検を受けた話、そして生検の結果を聞くという運命の分かれ道のときのことを書いていきます。

ようやく入院が許可され、病室についたのは予定よりもちょっと遅れたお昼前。生検までまだ時間があるのとそれまでに色々案内がありますのでお待ちください。と言われ、諸々の準備が進んでいく。

初めての生検、すぐ終わっちゃうと聞いたし一泊の予定だけど、どんなもんなんだろうと得体の知れない初めてのことに少々ビビりながら点滴をつけられた不自由な腕で仕事のスマホを見て時間をやり過ごす。

同室のお隣のおばあさんが、看護師さんに「他の患者さんもいるのでお電話でのお話は控えてください」と言われているのに旦那さんと何度も電話している。一泊とは言え、大丈夫だろうかとカーテン越しに勝手に不安になる。

ほどなくして、そのおばあさんは今日退院なことが分かる。ホッとして夫に思わず報告する。

午後から、と言われた生検がなかなか始まらない。待ちぼうけ。

この日はとても天気が良くて、具合は全然悪くないのにベットに横になり点滴をつけられ快晴の空を窓から眺めていると、異空間にいる自分がよりくっきりと感じられた。

会社用のスマホはひっきりなしにメールやチャットが飛び交っていて、私は返せたり返せなかったりするけど通知はどんどん進んでいって。


生検ですよ、とようやく場が動いた。腫瘍の一部を取る、という大事な作業だけどとてもライトに行われるそれは、ナースステーションの横にある「処置室」と書かれた普通の部屋に案内されて始まった。

局所麻酔をして、そうこうしているうちに「バチン」「バチン」と大きな音が2回して、それでおしまい。

かなりあっけなかった。はっきり見えなかったけど、太い注射というか太い試験管というか、長い筒状のものを身体にあてて、バチン、と。どういう原理か全く分からないものの身体の組織がそれで一部持ってかれた。変な感じ。

麻酔が切れて、出血などなければ明日退院、と再度案内されて本当にあっけないなぁと。取ったその腫瘍がナニモノかで大きな流れが変わるのに、今の時点ではすぐ退院できるし痛みもないし対照的な感じ、それもまた違和感がある。


翌朝、案内されていたとおりに退院で問題ないと診断される。結果は2週間後に外来でと予約が決まって、お昼前にするんと退院。

退院後、この2週間も長かったなー。でも今からどうにかなるわけでもないし、と私が夫に言うことも、逆に夫が私に言ってくれる場合もあってなんとか日常をこなして過ごしていた。

元々予約していた衛生管理者の試験とか、(へんに真面目なので)それもパスせずにむしろ勉強する理由になると思って受けたり、とにかく日常をこなすことで2週間は長いようであっという間に過ぎていった。


そして結果を聞きに再度病院へ。
心して主治医の先生の部屋へ入っていくと。拍子抜け。診療科が変更になる、との診断というか報告。

良性か悪性か、、、その2択をこの2週間ずっとずっとずっと待っていたから、なんとも拍子抜け。

診療科が変更になりもう一つ新たな確認をしたい、とレントゲン撮影をして新しい主治医の診察を待つ。レントゲンって。急に外科。

結局また今回もたくさん待って、朝イチの予約だったのにお昼前。新たに「主治医です」と自己紹介してくれたその先生が言ったのは「十中八九、良性ですね。」

良性!

ずっと待っていましたその言葉を。ただ、リスクをどんどん話してくれた。

腫瘍は8センチやっぱりあって、その大きさと腫瘍がある場所が脊髄付近ということもあり、簡単に取っておしまいとはできなさそう。お腹からいくか腰からいくか、どちらにしても出血多量のリスクや、脊髄近くの神経に触れたら腰から下の麻痺などのリスク、もし仮に高齢だったらまず手術はせずに経過観察、そんな状況です、と。


決めました。
超ポジティブに、この8センチの腫瘍を私は「放置」します。

良性の腫瘍が悪性になる可能性はほぼ0%で、今後の自覚症状(腫瘍が他臓器などを圧迫して足やひざの痛みが出る)で日常生活が大変になってきたらその時にまた改めて手術する選択を取る。

腫瘍の大きさを定期的に確認するために半年後くらいにまたMRIを撮る予約をして、それまではこの病気のことは一旦忘れ、私は今を生きることにしました。


10月末くらいから突如始まった、人間ドックを受けた恩恵。病気のこととか日常のこととか、子どもとのこととか良くも悪くもいろいろ考えました。
誰かと症状の程度を比べても仕方ないので、私は自分のこれまでとこれからだけを見る。自分の人生を生きる。

腫瘍と付き合っていく、そういうことにしていきます。



カバー画像は今年撮った初日の出。
家族3人でこれからも毎年見るんだ、とそんな気持ちで選びました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?