錯覚

幸福は思考の停止、視野の切り捨て、感受性の麻痺、大いなる錯覚である。という中島義道さんの不幸論という本の言葉が偶然目に入った。本は読んでいないけど、タイトルが不幸論だし、どうやら結局人生の根底は不幸であると言っているらしい。

幸福が錯覚…。確かにそう思わないこともないけど…引っかかる。この文章を書いてしまえる人間の高慢さが気になるのかも。高慢?なんで高慢に思ったんだろう。とにかく何かが邪魔して言葉がすうっと入ってこない。

考えろとか想像しろとかよく言われるけど、そもそも人間は考えなくてはならないの?そんなに頭を使わなくてはならないの?

多種が滅びる中、私たちホモサピエンスだけが生き残ったのは、虚構を信じることができたから。想像力のおかげで何でも作れるし何でも発見するし宇宙まで行くし、人間は確かにすごい生き物だけど、偶然変異でとりあえず進化しただけであって、別に生き物としての最良でもなんでもないし、進化は進歩ではないと思う。なのに偉そう。ホモサピエンスのサピエンスは賢いという意味。自分で賢いって名付けちゃうところとかちょっと恥ずかしくないかな。

多分人間ってすごく変。脳に踊らされてるアンバランスな生き物に感じる。私はいつまでも作り話を信じ愛してしまうし、隙あらばすぐ物語ってしまう。まるで全てのことに物語がないと死んでしまうかのように取り憑かれている。どんなときでも物語が私を掴んで離さない。勝手に舞い上がって勝手に苦しんでいる。過剰に考えてしまう自分がときどき嫌になる。体と頭がどんどんバラバラになっていく感覚がたまに訪れて苦しい。

行き着く先が「苦」ならもう何も考えたくない。思考の果てに次々と自滅していくなんてとても正常な生き物の姿とは思えないし、私は思いたくない。ただただバランスが崩れていく姿を眺めている。幸福が錯覚だというのなら、不幸も錯覚なのでは?

……そうか。だいたいのことは表裏一体。不幸だと書くことで、つまり幸福であると主張している本なのかもしれないな。答えなんてものはないので答え合わせする気もないけど、とりあえず読んでもいないのにピーチクパーチク私は本当に偉そうでうるさいな。なんなんだこの変な生き物は。



よかった。今日も私は大いに錯覚中だ。
いつまでも覚めないでいてくれ。

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