なつすけ

気づいた幸せを言葉にして残しておきたいと思っています。いくつかのベンチャー企業でもがき…

なつすけ

気づいた幸せを言葉にして残しておきたいと思っています。いくつかのベンチャー企業でもがき働いた十数年を経て、一人会社を設立。30代後半で結婚&出産。40歳で2児の母になりました。

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  • 子どもと暮らす生活

    育児を通じて感じた気持ちを書き留めてみます。

  • マタニティジャーナル

    38歳でもうすぐ出産を迎える私の、とても個人的な人生の棚卸しです。

  • 大人の自由研究

    気になるあれこれを研究してみました。

最近の記事

2回めの出産は計画通りには進まなかった

心身衰弱しながらの第一子出産から、早いもので2年半。 再度、上の子とおなじ大学病院で出産を迎えている。 前回との大きな違いといえば、今回は予定された日に入院して臨む「計画分娩」であるという点だ。 家族の事情を鑑み、日曜日を入院日に設定した。順調にいけば月曜日に出産して土曜退院、火曜日に出産したとしても日曜退院となる。里帰りもあるし、見通しが立つのはありがたい。 . 今回も私は無痛分娩を希望している。この2年半の間にも無痛分娩を選択する人の割合はずいぶん増えた様子。時代

    • さようなら3人家族、こんにちは4人家族

      5月5日はこどもの日ということで、こどもの国に行ってきた。 ゴールデンウィーク真っ只中で中学生以下無料のこの日、天気は快晴、最高気温は29度。当然、だいぶ混んでて行列ばかりだったけど、こいのぼりを見たいという息子の希望もあって行ってきた。 臨月ではちきれんばかりのお腹を抱え、日焼け止めを塗り忘れた首元と腕はバッチリ日焼けしながら、ちゃっかり名物ソフトクリームも食べてきた。 こどもの国には白鳥湖という湖があり、足こぎボートに乗れることを2回目の訪問にして初めて知った。 かね

      • 2歳の息子が入院し、メンタル崩壊した母は覚悟した

        書きなぐるようにこの文章を書いている。何をどんなふうに書くのか着地が見えないまま、noteアプリを開いて一気に書きこんでいる。 子どもが入院した。初めてのことだ。 2歳3ヶ月、あと少しで4ヶ月。言葉をどんどん覚えて、だけど赤ちゃん言葉だから「お茶のむ」は「おちゃ もぬ」だし、「抱っこ!」は「だっと!」だし、わかりやすくかわいい時期。そして、まだまだママが必要で、ママと一緒にいたくて、ママがいないと不安な時期。それなのに、入院した。順調にいって、1週間。長い。長すぎる。

        • 妻が夫に伝える「モンテッソーリ教育」

          この半年間、オンラインでホームメイド・モンテッソーリの講座を受講しました。 講義メモを毎回共有してきたけれど、おそらくほとんど読んでいなかったあなたに贈る、ここまでの学びのまとめです。 モンテッソーリ教育って、何? オルタナティブ教育のうちのひとつです。 たとえば日本には、学校教育法という法律があって、文科省が公教育を管轄しています。公立・私立を問わず、文科省の管轄下にある学校はおなじ規定に従い教育を行っています。 が、子どもたちには公教育として管理されていない学校で教育

        2回めの出産は計画通りには進まなかった

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        記事

          ゴミを捨てたら、どうなる?

          もう1ヶ月近く前のこと。 念願の、それはもう念願の「ゴミ処理場見学」に行ってきた。とても楽しかったので、記録に残しておこうと思う。 ゴミ処理場ってどんなとこ?私の住む川崎市では、もともとゴミ処理場見学は事前に予約さえすれば誰でもできる。が、スタッフの方に案内してもらえるツアーは「事前にお問い合わせください」とのこと。一人で行くにはハードルが高かった。 そうこうしていると、世間は夏休みに突入した。 そして見つけたのは「2023年夏休みスペシャルウィーク」の案内で、スペシャル

          ゴミを捨てたら、どうなる?

          水中で息するように暮らしている

          泳げない私がダイビングを始めたと言ったら、驚かれたものだ。 フィンと器材があれば、泳げなくても水中で進めるし呼吸できるなんて。ダイビングは間違いなく私の人生に彩りを添えてくれたと思う。泳げないからずっと敬遠していた海の中だったが、見える景色や聴こえる音、全身を伝う水の感覚すべてが新鮮だった。 ダイビングの細かな好みは人それぞれで、海水より淡水を好む人から魚ではなく海底遺跡を見たい人、ナイトダイビング好きまで多様らしい。 私の場合は、南国の浅い海で、水深数メートルをゆっくり

          水中で息するように暮らしている

          舞台の幕が下りたら

          1月5日、祖母が104歳の誕生日を迎えた。 104年。1世紀以上。大正時代に生まれ、長い昭和、そして平成を経て令和。戦争を生き抜いた人でもある。 祖母は穏やかで気品にあふれ、一度も怒ったり取り乱した姿を見たことがない。私が物心ついてから今まで、おばあちゃんはいつも変わらず優しいおばあちゃんのままだ。物静かで、余計なことは言わず、いつも微笑を浮かべ、常に相手を思いやる祖母を悪く言う人はいない。 100歳を過ぎて、以前より耳が遠くなったり同じことを訊ねたりするようになったと

          舞台の幕が下りたら

          私がいたはずの未来

          子どもが産まれて1年と少し経った。 これでもかというくらい日々写真を撮って、かつてないほど四季の移ろいをじっくりと味わって、一方で腰痛やら肩こりやらに悩まされた。産後のばね指に始まり、肩、腕、腰、股関節、全身の各部位を順番に痛めるから鍼や整体が欠かせない、そんな1年だった。生活が激変した。 子どもはかわいい。そして愛おしい。 こんなにも愛する対象が世界に存在していたことに驚いている。誰かを愛するということを私はこれまで理解していなかったのかもしれないとさえ思う。あんなに聴

          私がいたはずの未来

          初めての出産は命懸けだった

          元気な赤ちゃんを出産しました!母子ともに健康です! というお決まりの台詞はついに言えなかった。 5日前に分娩室で産まれたときツーショット写真を撮った我が子。その後、私は写真や動画でしか彼の姿を見ることができていない。 . 破水したのは日曜未明のことだった。 とっくに出産予定日をすぎ、あまりに産まれる気配がないため数時間後には入院する段取りが取られていたその当日のことだった。手早く病院に電話し、夫の運転する車で急ぎ向かう。到着後いくつか検査をし、すぐに入院生活が始まった。

          初めての出産は命懸けだった

          結婚3年目のラブレター

          結婚した瞬間に人生の満足度はピークに達し、それから2年で満足度がゼロリセットされるという調査結果があるらしい。2年を過ぎるとむしろ満足度がマイナスになるという。 先日、結婚してちょうど2年が経った。 私たちの結婚生活はほとんどコロナ禍とともにあり、とにもかくにも変化の連続だった。 平日はそれぞれ外で仕事という生活になると思っていたら、コロナの影響で二人とも在宅勤務になったり。通勤時間やアポの移動時間が一人きりを楽しめるときだったのかと、移動がなくなってわかったり。 ま

          結婚3年目のラブレター

          この坂道を下ると何が見えるのだろう

          「どうでもいいじゃないか、そんなこと」 本当に面倒くさそうに父は言った。暑い夏だった。 そのとき私は模試の結果を握りしめていた。同じ志望校を目指す友人が成績優秀者としてランキング上位に載っていた。彼女は授業中いつも寝てるのに!と自分と比較して落胆していた私に父がつぶやいた言葉がそれだった。 あれから20年経ってようやく理解できた気がする。 . できていたことができなくなっていく。 最近そんな夢を見るようになった。仕事で資料を作り終えられない。言葉が出てこなくて会話

          この坂道を下ると何が見えるのだろう

          勝つか負けるかよりも大事なことがあると知った日

          早起きが苦手な私にとって、朝6時の街の風景というのは特別なイベントといつも一緒だった。大きなスーツケースをひいて空港に向かう旅立ちの日、ウェディングプランナーの代名詞ともいえる黒のパンツスーツに身を包み出勤する土日、そしてアメフト部のスポーツトレーナーとして試合会場に向かった日々。 特に、私が大学4年間を過ごした体育会アメフト部のことを思い出すと、どうしても複雑な気持ちがよみがえる。 万年二部リーグだったチームは、私たちが2年生の終わりに一部リーグに昇格し、4年生時には悲

          勝つか負けるかよりも大事なことがあると知った日

          CDラジカセからレミオロメンの「南風」が流れていた

          私の進学した大学は、国内有数の就活に有利な大学だった。 卒業生も同級生も、誰もが知る大手企業にすんなり内定していく。加えて1部リーグで活躍した体育会アメフト部出身者ともなれば、日本を代表する商社や金融、不動産といった最難関の就職先からも引く手数多だ。選手だけでなくスタッフも、錚々たる企業に毎年就職していく。 それなのに、私の就活は連戦連敗だった。第一志望に書類で落ち、インターンまでした第二志望に最終面接で落ちた。その他数えきれないエピソードがある。その後、たくさんの人の支

          CDラジカセからレミオロメンの「南風」が流れていた

          糸の切れた凧

          ずっと何者かになりたかった。私だってスターになれると思ってた。 10代の頃、女子高生ブームの中で人気者だったスーパー高校生たちはみんなと同じヘアメイクに服装だったけど、私がそれを真似しようにもただの凡庸な高校生だった。 猛勉強の末、憧れの難関大学にようやく入学できた直後に理解したのは、天は二物でも三物でも与える人には与えているんだということだった。 鶏口牛後とはいうけれど、世の中には牛口になる人もいるわけで、多くの場合においてそれは選ばれし者としての覚悟と境遇の中で、な

          糸の切れた凧

          お皿に残った最後のエビ

          新卒で入社した会社でウェディングプランナーを始めて、3年目にもなるとだいぶ余裕が出てきていた。 結婚式は本番直前の2週間が忙しさのピークで、新郎新婦にとっては不安のピークでもある。突発的に電話やメールで相談がくることもしばしば。担当プランナーである私がすぐに反応できないと、新郎新婦の不安は加速する。逆に言うと、担当の結婚式がお開きしてから次の担当まで3週間あれば、プランナーにはつかの間の平穏が訪れる。 カレンダーの逆を生きるサービス業にとって、大型連休もお盆も年末年始も長

          お皿に残った最後のエビ

          秋鮭の季節に

          適応障害と診断されたのは、2017年10月のことだった。 34歳会社員、一人暮らし、独身彼氏なし。仕事から離れる必要がある、という診断書だった。それを会社に提出して休職期間が始まり、有給が尽きた頃にも回復の兆しはなく、私はそのまま退職することになる。 えずきに悩まされるようになったのは夏の終わり頃だった。 オフィスが近づくとえずきが始まり、次第にそれは頻繁になった。リモートワークOKの会社だったから、なるべくオフィスに行かず在宅で仕事をするようにした。 その時期、チャッ

          秋鮭の季節に