「好きになった人がタイプ」の危険性
「マイルールは?」
と聞かれて何一つ思いつかなかった。
「マイルールを持たないことがマイルールかな。」
なんて格好いいことを思ったりして。
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私が所属しているコミュニティ「コルクラボ」ではオンライン上の掲示板で週に一度「お題」が出され、皆がそれについて回答していく。
ある時、『みんなのマイルールを教えて!』というお題が出た。
全く思いつかない私はメンバーの回答をひたすらスクロールしていた。
「靴は右から履く」
「迷ったら買わない」
「朝ご飯は○○」
など、意外とみんな細々したルールを持っているんだなあ、と驚いた。
そして、「ルールがあると息苦しくないかな?守れなかったときに、自分を責めてしまいそう・・・」とも。
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そんな中、先日シェアメイトの女の子2人と「好みのタイプ」について話していて、私は好みの男性のタイプさえはっきりないのだな、と気づいた。
いわゆる「好きになった人がタイプ」ってやつだ。
特に思いつかないし、変に好みを絞っているより間口が広くていいんじゃないかと思っていた。
のだけど、
間口が広いというのは、ちょっと、ある意味ではよろしくないのかもしれない。
「どなたでもどうぞ!」と入ってきた中に、泥棒が潜んでいる可能性だってある。
(※「泥棒」という表現は恋愛が上手くいかないのをまるっきり相手のせいにしているようで気に食わないのだけど、今は思いつかないのでこのままで・・・)
そうやって泥棒が入ってきたときすぐに「あなた泥棒ですね!」と気づけたらいいけど、これが気づけないことだってあるのだ。
気づけないのは、冷静さを失っているとき。
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感情は、人を支配する。
特に恋愛感情は強烈だ。
あっという間に、人から冷静さを奪う。
正月休みにヒトラーをモチーフにした漫画「アドルフに告ぐ」を読んだのだけど、どれだけドイツ国民を支配したナチスの冷血漢も、恋愛感情には支配されるのだなあ、と思ったものだ。
まず何かのきっかけで誰かを「好き」になったとして、自分の中になんのルールもなければ、「好き」とは思えない相手のある側面に出会ってしまった時にも「好き」の感情に惑わされてしまう。なんでもかんでも許してしまう可能性がある。
これがエスカレートすると、例えばパートナーから暴力を受けても「あの人もきっと今辛いんだわ」とかなんとか言って殴られることを許してしまう。
あっという間に自分を大切に出来ない女子(男子)の出来上がり。
もし自分の中に「手を出されたらアウト」と事前にルールを決めていたら、感情でぐちゃぐちゃになっている時もどうにか「でもこれはアウトだったはず・・・!」と客観的な視点を一つ持つことが出来るのではないだろうか。(暴力に立ち向かうことを実行できるかどうかはまた別のハードルがあるけど)
暴力はちょっと極端な例かもしれないけれど、
「私の体型をディスる人はなし」とか「お金を無心されたらアウト」とか、具体的な境界線を自分の中に持っておくことは感情に支配されたときの手助けになるはずだ。
これ、もちろんネガティブな面においてだけでなく、
「好みのタイプ」のようなポジティブな面においてもルールを持っておくことはきっと必要で。
それは、自分が大切にしたいものを忘れないためのルールだ。
ルールは「決まり事」ではなく「基準」だ。
自分を大切にするための道しるべ。
とうわけでシェアメイトに勧められたこともあり、これから好きなタイプを100個書き出してみようと思うよ。
その他にもこれを機にいくつかルールを持ってみようと思って、
ひとまずnoteを毎週更新するぞ。
って年明けに決めたのに先週先々週は飛ばしてしまった。笑
まあ、決めてなければ、あと2ヶ月は放置してただろうから、やっぱり決めて良かったかな。
ルールを持つことで、自分を大切に出来る、というお話でした。
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