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いま、「ある」ことの幸せ

陽射しの強い日が増え、夏が近づいているのを感じる日々。それでもまだ夜の空気は冷たい。

寝る前にベランダの窓を閉めようと手を伸ばすと、我が家の猫がちょこんと座って外を眺めていた。わたしはしゃがんで彼と目線を合わせ、同じように外を眺めてみる。ベランダの壁があるので、視界はそんなに広くない。長方形の空に広がる空に物干し竿が横断し、向かいの家の屋根とアンテナが見えて、電線が走っている。情緒もおもしろみもない景色だけど、彼は黒目を丸々と大きくして、何かを探すようにじっと外を見ている。

「おもしろいものあった?」と声をかけながら、彼のおでこを撫でた。物干しにかけたままになっていたハンガーが風に揺れてカチャカチヤと鳴るたびに、「なにごとか?」と言わんばかりに彼はさっと目線を向け、また辺りをきょろきょろしていた。

わたしの頭の中は、翌日に仕事で遠出するための交通手段のこと、取材で初めて会う人たちのこと、数日後に人と約束していること、今月中に一人でゆっくり観に行きたい美術展のこと…「外の世界」のことばかり考えていた。

いまわたしの隣でその好奇心を窓の外に全集中している彼は、外の世界を知らない。生後40日のときにブリーダーさんから我が家にお迎えし、今年で4歳になったが、暗がりの中で目をまんまるにしている彼の顔は、子猫のときと変わらないように見えた。純粋でまっすぐな好奇心と、家から一歩も出られないことを当たり前に受け入れている従順さ。 

「ああ、この子は親兄弟から遠く離れて二度と会うこともなく、これからも一歩も外に出ることもなく、ほかの猫と友達になったり触れ合ったりすることもなく、家族をつくることもなく、わたしたちのためにこの家に居てくれるんだ」
そう思うとなんだか申し訳なくなった。うちの子になっていなければ、複数頭で飼われてわいわい賑やかに暮らしていたかもしれないし、恋をして子どもを持つ父親になっていたかもしれない。孤独を感じることもなく、もっと幸せな暮らしがあったかもしれない。

でもわたしのこんな想いとは裏腹に、きっと彼は孤独も不幸も感じていないだろう。それは彼にとって「この家で唯一の猫として暮らすこと」以外の体験がない以上、いまの自分の状態をなにかと比べてジャッジすることができないからだ。

もし、われわれが「宇宙のなかにただひとり」で生きていたら、孤独は感じないでしょう。孤独を感じるのは、われわれが「ひとり」だからではなく、自分を取り巻く他者、社会、共同体があり、そこから疎外されていると実感するからこそ、孤独なのです。

岸見一郎、 古賀史健『嫌われる勇気』

彼の生きる世界では、彼はただ1匹の猫なので、他の猫と比べることもなければ、他の猫と関係性を持つこともないので、そもそも「孤独」という状態を知らないから、孤独ではない。そして、外の世界を自由に走り回ったこともないから、外の世界を恋しがることもない。

つまり、知らないことは、存在しない、有り得ないのと同じ。知っているから、それを考えたり、求めたり、叶わないことを悩んだり、「ない」状態にフォーカスして苦しくなったりする。

欠乏意識にさいなまれているかぎり、豊かさを引き寄せることはできない。その結果、精神的にも経済的にも満たされない日々を送ることになる。感謝の心を持っている人たちの仲間入りをするためには、欠乏意識を克服しなければならない。

スコット・アラン『感謝の習慣』

最近読んだ本には、こんなふうに書かれていた。感謝の心を持って、欠乏意識を克服すれば、心豊かに生きられる、みたいな内容だった。でも今日いろいろなことを考えて、ちょっと違う視点を持つようになった。

欠乏意識を感じるということは、「ある」状態を求めるということで、それは「ある」状態を「知っている」ともいえる。「ない」を知っているのは、たくさんの「ある」を知っているから。たくさんの経験からたくさんの「ある」を知っていること自体は、悪いことではないと思う。

なぜなら、うちの猫には欠乏意識はない。「今日はおやつがもらえない」ぐらいの欲求はあるかもしれないが、「どうしてぼくには猫の恋人がいないんだろう」とか「外に出かけられないぼくは不幸だ」とか、そういったことはなにも思っていないだろう。それは彼が「ある」状態を知らないから。

「ない」にフォーカスすることは一時的に不幸を感じるかもしれないが、「ある」も「ない」も無知の状態よりは、一歩進んでいるといえる。そしてさらに一歩進んで、「ある」にフォーカスしてより心豊かに生きられる可能性も秘めているとも捉えられる。

猫と肩を並べて窓の外を見つめながら、そんなことを考えていた。人間は猫さまとくらべて無駄に脳が発達しているわりに暇なので、こういうくだらないことをつらつらと考えてしまうんだよね。

そして、外の世界の過去や未来の「ある」「ない」に一喜一憂するよりも、「いま」君がこうして隣にいてくれること、やわらかな毛に触れられること「ある」ことがじゅうぶん幸せだな、とあらためて。いつもありがとう。

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