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結婚をして、300万円の借金を完済したけど幸せじゃなかったので私はメンタルクリニックへと向かった

29歳で結婚をして、300万円の借金の完済をした。これにより、想定外にも心のバランスが崩れてしまった。

二年ちょっとの交際期間を経て夫からプロポーズされたのが2018年だった。

朝食を終えたタイミングで『結婚する?』と絞り出してくれた夫は、陽の光のなか、緊張のせいで唇が青ざめていた。あまりロマンチックではないこの日のことを、とても気に入っている。

48グループ出身ということもあってか、結婚したことはいくつかの新聞社やニュースサイトが記事にしてくれた。

ところが、それらを目にした友人・知人からお祝いのメッセージが届くようになると何故だか心臓がバクバクしてしまう。喜びが、どうしても心の器からじわじわと漏れ出てしまう。

周囲から、よかったね、おめでとうと声をかけてもらうたび、私は「上がりだね!ゴールできて良かったね」と勝手に変換して受け取ってしまっていた。“マリッジブルー”で検索してみても、読み口の軽いコラムばかりが出てきて心に届くものはなかった。

私の人生はこれからで、まだまだ泥臭く頑張るつもりなんだよ、安定とは程遠いんだよ!こんな私の気持ちを誰も分かってくれない。祝福される状態がひたすら怖くて、心のなかで一人で大暴れしていた。

そんな心持ちのなかで、結婚後まもなく、ある番組収録中の空き時間に『日曜日に働いてて旦那になにも言われないの?』と現場の偉い方から訊ねられた。ギョッとした。もし私が男性だったら、この発言は受けていただろうか。

実際のところ、夫は曜日関係なく、快く私を仕事へと送り出してくれる。

しかし、この方は“妻なら土日は家事や家族の相手をするもの”という価値観を持っているようであった。片側の口角をあげて、ほほ笑み返すだけで精一杯だった。

あぁ、わたしって、なんで怒りや戸惑いへのレスポンスが遅いんだろう、うるせぇバカって何で言えなかったんだろう。そう自分にもイライラした。そんなこともあって、この間にもコップから感情はどんどん漏れ出ていった。

時を同じくして、高校・大学と借りていた計300万円の奨学金を完済した。残額と睨みあう日々で、険しい道のりだった。

苦しかったけれど、芸能界でサバイブするための燃料にはなっていたのだと思う。奨学金の仕組みについては思うことがたくさんあるのだけど、それについて筆を取るのはまた別の機会とする。

借金と隣り合わせのせいで、お尻にずっと火がついた状態で毎日猛烈に怒っていた。

奈津子という看板で一円でも多く稼ぐ、そう、深く決めていた。そして、それが叶った。

でも次のガソリンは?あれ?なんか今、むちゃくちゃ苦しいかも。そんなことを考えていたら昼間に怠くて、夜は眠るのが下手くそになってきて、メンタルクリニックへ通うことになった。

医師とのセッションと、自己分析を通して掴めたことは、私は“浮かれた状態”を作り出すのが不得意であるということだった。

冷静さが先行するから、未知であるライフステージの移行に伴う環境の変化(とくに周囲からの祝福モード)はギャップを生み、大きなストレスになってしまう。

私の場合は15歳で父親が亡くなっていることも大きい。家族の喪失を早くに経験しているから、いつか訪れる夫との別れもリアルに想像してしまう。

社会人デビューの早さも要因の一つだった。15歳で工場勤務をし、のちにスカウトされて、TVドラマ「野ブタ。をプロデュース」で俳優デビューしている。

ある面では恵まれた環境にいて、そのことに感謝もしているけど、結婚を機に人生の半分の期間も働いてきたこと、そして人生のままならない点や、不条理なできごとが重なっていたことに気がついて、疲れが噴出した。

あ~疲れた。マジで疲れてたんだ、わたし。

張り詰めていた糸がゆるんだように、はっきりと蓄積されていた疲労感に気がついた。

思うに、境遇は違っても、私のように【イレギュラーな経験が重なった人生を歩んできたひと】というのは、壁を乗り越えるための腕力・脚力はあっても“シアワセ”に慣れていないひとが多いのではないだろうか。ある種の図太さが、弱い。

だから大きな感情を伴うイベントごとに直面したとき、嬉しい気持ちを収めるためのコップの容量が足りなくなってエラーが起きる。

浮かれると溺れることを、骨の髄で知っているから。

淡々と生きて、常に不安を携えておけば、不幸なことが起きても感情の振り幅は少なくて済む。そのほうが一時的にはラクだから。でも、そうやって生きてゆくのは結構しんどい。

◾️

メンタルクリニックの医師から提案されて興味深かった治療法の一つは、“楽しい妄想”を軸にして、お喋りするというものだ。

自然にできないなら、人工的に「浮かれた状態」を作り出すということなのだろう。

医師にはいろんな相手を演じてもらい、私は、自身が望む自分として存在し、対話していった。

ロールプレイングの最中、私の性格は天真爛漫だったし、大女優だったし、海外暮らしもボランティアもしていて、別荘は3軒も所有していた。

ワークライフバランスは完璧に調整が取れており、父親の死や十代での社会人デビューなど、子ども時代を子どもらしく過ごせなかったことについても、向き合っていった。

件の、私が日曜日に働いていることに疑問を呈してきた偉い人に対しても、その発言がいかに時代にそぐわないものであるのか、その瞬間にさかのぼり、しっかりと説明した。あくまでも想像の世界なんだけど、脳にこびり付いた悔しさが少しずつ濾過された気がする。

私はこんなふうに壮大なモヤモヤと共に新婚期間を過ごした。

一般的な幸せが、その人にとって大きな幸福を感じられる状態であるとは限らない。特に友人や知人のSNS、メディアで結婚報告をみかけるたびに、そう思う。

【これまで全力疾走してきた人】ほど、人生の節目で、古傷や疲れに気がついて、もう一度あらためて傷つくんじゃないかな。

メンタルクリニックでのカウンセリングを受けて以降も、現在に至るまで、日々めまぐるしくて、ままならない。相変わらず今でもシアワセを感受するのが下手くそだけど、でも、そのことに自覚的になれたのは良かったと思う。あの時、心の芯が疲れていることに気がつけたから、意識的に休むことも大切にするようになった。

現在の私は働きながら、夫と2歳になる息子を育てている。

当初よりは、この環境が少しずつ身体に馴染んできたとは思う。念のために記しておくと配偶者への不満はなく、私のシアワセセンサーが鈍いことはこちら側の都合だ。

幸せを瞬間的に感じ取れて、感情を抑圧しないで済むのなら、それに越したことはない。

けれど、不安と隣り合わせでいないと、シアワセを味わえないひともいる。

歪でも、それもひとつのシアワセの形だと私は思う。

人生のおめでたい側面にいながらも【周囲からの祝福の声が素直に受け取れず、そのことに罪悪感がある】いま、そんな状況にいる人の心に届くことを願って、この記事を書きました。

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