終戦の日によせて 思う事

いきなりですが、私は子供の頃何度も見ていた夢があります。
それこそ、小さい頃から小学校高学年にあがるまで、繰り返し何度も見ていた夢です。

その夢の内容は、非常にシンプルなものです。

学校のような建物の中に、たくさんのベッドが並べられ、その間を自分が歩く、という夢です。
色はなく、セピア色した世界を、ただ静かに歩くだけの夢です。
他に何かが登場していたのかもしれませんが、私が今でも覚えているのは古びた室内の印象と、たくさんのベッドが並んでいる。ただそれだけの光景です。

その夢が何を指しているのかは、当時も今もわかりません。
ただ一つ思うのは、あの光景は、戦時中のものではないかという事です。

その夢を見てきた所為か、私は戦争ものの映画が苦手です。
特に、リアルな戦闘描写があるものは、正直目を開けていることすら出来ません。
ついでに言うと、血が飛び散る映像なども苦手です。
理由はわかりません。ただただ、苦手。それだけです。

あの夢は、もしかしたら私の前世のイメージなのかもしれません。
そうすると、私はかなり早く転生した事になりますが(笑)
ある人に見てもらった時、私は戦時中、孤児院の保母さんをしていたのではないかと言われたこともあります。
なるほど、それもありそうだな・・・と思いますが、真実はわかりません。
そういえば、私が趣味でやっている誕生日占い(誕生数秘学)で、私は過去の数字が11なのですが、巫女さんや看護婦さんのような数字だと言われています。
確かに20代の頃、よく「仕事は看護師さん?」と言われていましたが、もしかしたら前世の職業と何か関係あるのかもしれませんね。

そんな訳で、私は戦争映画が苦手です。
ついでに言えば、戦争も嫌です。
子供の頃、割と本気で祈りで世界が平和にならないかと願った事があります(笑)
もしくは、日本全土を覆うようなエネルギーシールド的なものも、よく妄想していました。爆弾が飛んでくると、そのシールドに阻まれて日本まで入ってこないような、凄いやつです(笑)
誰か、そういうの開発してくれないかな・・・(笑)

話は逸れましたが、私は戦争は嫌です。
けれど、大東亜戦争で命を賭けてくださった兵隊さん達は、心から尊敬しています。(英霊になった方も、生き残った方も含めて、の言い方をしたかっらので、敢えてこの言い方にしています)

兵隊さんに関する事で、私が印象に残っている話が2つあります。

1つ目は、私の母から聞いた話です。
私の母は戦前生まれで、戦争が激しくなった頃、それこそ竹槍の訓練などもしていたそうです。
そんな母が暮らしていたのは、当時、疎開地になるような田舎で、食料も然程困る事なく暮らしていたそうです。
けれど、時代は戦争まっただ中。
ある日、知り合いの兵隊さんと田舎道を歩いていた時、頭上をB29戦闘機がやって来たそうです。
その瞬間、一緒に歩いていた兵隊さんは、母を道の側溝に追いやり、その上に覆い被さるようにして母を守ってくれたそうです。
幸いにして、B29は爆撃をすることなく、通り過ぎたそうですが、私はその話を聞いた時に、兵隊さんというのは凄い優しい人なんだと思いました。
実際問題、B29戦闘機に爆撃をされていたのなら、母はもちろん、かばってくれた兵隊さんも、生きてはいないでしょう。
けれど、兵隊さんは出来るだけ被害の少なくなるように、母を側溝に入れ、守るように覆い被さってくれた。
その話は、今でも私の中に焼き付いて、ずっと残っています。

2つ目は、特攻隊に関するものです。
これは、実際に私が話しを聞いたものではなく、私がそう感じただけのことかもしれませんので、あしからず。
先述の通り、私は戦争に関する事が苦手です。
なので、基本的に戦争に関する場所や資料館などは、ほとんど行った事がありません。
その中で、私が唯一、己の意思で行った事があるのは、靖国神社にある「遊就館」だけです。
その中で、戦争に纏わる流れや、遺品、家族への手紙などが展示されており、そのどれもが胸が苦しくなるほどの思いが籠もっていました。
特に、特攻隊の若い兵隊さんが、家族に遺した手紙や写真などは、本当に、本当に見るのも辛いものでした。
何より、その手紙のどれもが、先立つ事を詫びたり、遺された家族への思いなどが綴られており、読むだけで胸が苦しくなるものばかりです。
当時、家族への手紙も、軍の検閲があったという話もありますし、正直な気持ちは書けなかったかもしれません。
けれど、そんな中、限られた言葉の中で、あれほどの思いを伝えるのは、どれだけの事だったのでしょう。
どうして、己の命を引き換えにして、戦闘機に乗っていったのか。
命令だと言われれば、それだけの事かもしれません。
けれど、人は命令だけで簡単に己の命は捨てられないと思います。
もちろん、戦況は既に末期で、物資も、人も足りていない状況で、ある意味究極の選択だったとは思います。
そんな私の中にある疑問を解いてくれたのが、ある言葉でした。

「私が命を賭けて戦う事で、大事な家族が救われるなら、私は喜んで命を捨てて戦う」

確か、どなたかの遺書にあった言葉だと思いますが、そんな感じの言葉を遺していた兵隊さんがいらっしゃったんです。(文言は正確ではありません)
その言葉を見た瞬間、私は納得しました。
己の命を犠牲にしても、彼らは自分の大事な家族、友人達を守りたかったのだ、と。
時代は戦時中。今とは全く状況が違います。
命が簡単に失われる時代、目の前には日本全土を焼き尽くしてしまいそうな戦艦があり、戦闘機がある。
このまま行けば、日本に上陸されるのも時間の問題。
上陸されて、植民地にされてしまったら、大事な家族や、恋人や、友人達がどうなってしまうのか。
恐らく、戦場で誰よりも悲惨な状況を見てきた兵隊さんには、容易に想像が出来たのでしょう。
もし、己の命を捨てて、敵の戦艦を沈めれば、大事な家族が守れるかもしれない。
もし、己の命を賭けて、敵の戦闘機を沈めれば、大事な人を守れるかもしれない。
その思いが、根本にあったのではないかと思います。
それはきっと、英霊になった方も、生き残って下さった方も、同じだと思います。
誰だって、死ぬのは怖い。
けれど、その死の恐怖さえ、乗り越えてしまえる強い思いを、きっと兵隊さんは持っていらっしゃたのだろうと思います。

そんな優しくも強い思いを以て、命を賭けて日本を守ろうとしてくれた兵隊さん、そして英霊の皆様には、心から感謝と哀悼の意を捧げます。

あなた方が命を賭けて日本を、そして私達を守って下さったからこそ、今の日本が、私達が生きていられるのです。
本当に、本当にありがとうございます。

今、日本だけでなく、世界中で未知なるウイルスとの戦いが起こっています。
この戦いには負ける訳にはいかないのです。
現状、特効薬もない状態ですが、判ってきたこともたくさんあります。
人の多い所ではマスクをして、手を洗って、うがいをして、体の免疫力を上げる為に運動する。
別に、命を賭ける必要はないんです。
一人一人が出来る事をし、前に進むしかありません。
互いに思いやりを持ち、命を賭けて日本を守って下さった兵隊さんに感謝しながら、これからも生きていきたいと思います。

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