人生とは階段を登るようなものなのかもしれない

こんにちは。なつこです。

若い時にはわからなかったけれど、年を取るにつれてわかることも増えてきた気がします。

そのひとつが「人との縁」かなと思います。

学生に仲の良かった友人とはほぼ年始の挨拶のみになったり、音信不通になったり。そうかと思えば、子供の頃からの友人がずっと仲良かったり。色々ありますよね。

喧嘩したわけでもなく、自然と縁がなくなるのって何なんだろうと考えたんですが。

そこで思い浮かんだのが

「人生とは階段を登っていくようなもので、階段の高さも方向も人によって違うのでは?」

でした。

人それぞれに人生という名の道があって、日々の経験を重ねていくことによって人間として成長していく。
その速度も、進むスピートも人それぞれ違っているということは、階段の段差が違うようなものなのかもしれません。

そう考えると、色んなことが俯に落ちました(笑)

学生時代は同じ目線で物事を見つめていたはずなのに、互いの道を歩み始めることで段差が生まれ、気がつけばすぐ傍にあったはずの友人の姿が見えなくなっている。
階段の登る方向も違うので、姿が見えなくなる友人もいれば、何度か縁が交わる友人もいたり。
(余談ですが、私にも物凄く仲が良いわけではないのですが、何故か何年かに一度必ず顔を会わせる知人がいます。元々は職場の同僚で(でも半年くらいしか一緒に仕事してないんですが)その後も、別の仕事関係で再び会ったり、最近ではあの広い羽田空港でバッタリ会いました(笑))

年を取っていくと、どうしてもその時々によって仲良くする友人が変わってしまいます。
私は独身なのですが、やはり結婚した友人とは自然とタイミングが合わなくなったり、様々な理由で連絡を取らなくなることが多くなりました。

でも、決して嫌いになった訳じゃなく、なんとなく連絡しづらくなってそのまま・・・なパターンだったのですが。

その理由が、階段の段差が違って目線が合わなくなったのなら、納得できるな、と思ったわけです。
(あくまで自分の考えでは、です(^_^;))

だから、最近連絡を取ることがなくなった友人とは、一旦縁が終わったのだな、と思うようになりました。
切れた訳ではなく、ただ単に終わっただけだと。
けれど、また階段を登っていく間にまた縁が交わることもあるだろうな、と思えると、なんだか少しだけ気持ちが軽くなりました。

やはり、仲の良かった相手と縁遠くなるのは寂しいですからね。

どんな階段を、どんな速度で進んでも間違いじゃない。
人にはその数だけ人生があって、その人だけのドラマがあるのですから。
だから、縁が遠のいたとしても、その人と出会えた事に感謝して、またどこかで会えたらいいね!と見送る気持ちを持つようにしたいですね。
再び、縁が重なった時にはそのことを素直に喜びたいと思います(*^^*)

ちなみに。

職場や友人関係で、必ず苦手とする人が出てくる事がありますが、それは友人に言わせると、「魂レベルで約束している相手」だかららしいです(笑)
嫌な気持ちになったり、喧嘩したり。
決していい思い出にはならない相手なんですけど、そういう経験も階段を上がっていくには必要なんだとか。

何はともあれ、最後にはいい経験をしたなと思えるようになったら勝ちという事で(笑)


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