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頑張れ不器用

もう紫陽花の咲く季節になった。

毎年この季節になると、部活動をがむしゃらにやっていた頃を思い出す。
私は学生時代、バレーボールをやっていた。それなりに頑張っていたけれど、途中で頑張ることを辞めた。辞めた、というより頑張ることが怖くなった。
頑張った先にある自分の限界を知ることや、結果が出ないことが堪らなく辛かった。自分の力量を知って受け止めるには、私はまだ若過ぎた。無意味にスカすことが私なりの現実逃避だった。
精一杯強がっていても私は弱い人間な訳で、高1の夏休みにストレス性の胃腸炎に4回なった。結局椎間板ヘルニアが二箇所できて、仰向けに寝そべることもできなくなって、どうにもならなくて辞めた。

頑張らなければ結果は出ないが、「頑張っていれば結果は出ていたかもしれない」という可能性を潰すこともない。やろうと思えば結果は出せたけど、あえてやらない方を選んだと自分に言い聞かせれば、まだ夢を見ていられる。こうして私は大人になった今でも、頑張ることを先延ばしにし続けている。

自分を最後まで信じることが難しくなってしまった、と思う。怪我をしたら同じ痛みを味わうのが怖くなるのと同じで、挫折の痛みをまた味わいたくないのだ。
意欲はある。頑張りたいと思う。で、いざ取り掛かろうとすると、蒸し風呂状態になった体育館の熱気や、ホイッスルの音や、素うどんやウィダーゼリーが喉元にせり上がってくる感覚が蘇ってくる。ここまで一息に文字に起こして、一体何がしたいんだろう、と項垂れる。

平和で呑気な仮定だけれど、私がこの先、大病せず健康に生きるとする。たまに死にて〜!!と泣き喚きながらも、ぐだぐだと生きているはずだ、多分。
そしたら、おそらくあと60年くらいは生きていることになる。その60年の間に医療が発達していれば、もっと長生きするかもしれない。

スゥ…。

残りの60年、特に本気で何をするでもなくぐだぐだと生きるの嫌すぎ!!!

それで最期の瞬間に「なんかもうちょっとちゃんと人生しとけばよかったな」とか思うの最悪!!!

活躍している人をとりあげているTV番組を「やっぱ凄い人は小さい頃から努力してるんだなあ、すごいなあ」みたいな死ぬほど浅い感想呟きながら、凡人に生まれてしまった悔しさを無理矢理口角上げて飲み込むのやめたい!!!


特別な人間になりたいんじゃない。頑張らなかったことを嘆きながら人生を終えたくないだけだ。
そして、いくら嘆いても未来が私の機嫌をとりにくることなどない。残念なことに、そんな都合の良い未来はやってこない。
未来の自分を過信して、今を浪費することほど無駄なことはないと、私の生きてきた23年間が証明しているからだ。チクショー!!!

モチベーションにも波があって

「何を始めるにも遅すぎることはない。私は何にでもなれる…」

といった無敵の状態の時と、

「私がいくら頑張ったとて凡人の域を出ることはない。この世は茶番だ。俺たちは同じところをぐるぐると回っている肉塊に過ぎない…」

みたいな終わってる状態が交互に来る。
そして、丁度今は終わっている状態になっている。五月病ということにしている。季節の変わり目って大体こうだから…多くの人が…。
こういうことを言うと「結果を出している人はモチベーションがない時もやってます」と言う人がいる。やる気に頼っているからいつまでもできないのだと。
うるせーーーー!!!!
と心の中で叫んだ後に、まあまあ落ち込む。図星だからだ。

自分はゼロヒャクの人間なので、丁度良い塩梅に物事を進めたりすることができない。この生き方は危険だなと思いつつ、やはり気質なので変わるのは難しい。
キツい筋トレをして、食事も制限して一気に痩せても、絶対反動が来て元通りになるとわかってる。でもやる。
語学のテキストや医学書を買い集めて徹夜で勉強する。自分の馬鹿さに意識が朦朧としてそっと頁を閉じる。また開く。
継続が一番大事だとわかりながら瞬間の力しか出せずにいる。

なぜこんなぬるい挫折をし続けながらも、まだ頑張ることを夢見てるのか。
何者かになりたいからだ。周りから役が与えられれば、その何かが認められれば、私はその自信のなかで生きていける。
何者かになりさえすれば、私は安心できる。こんな不安に苛まれずに済む。

今の私には実績も社会的地位も誇れるものも何もない。丸腰だ。
実家では、父と母の脛を齧るどころか、寸胴鍋でよく煮て出汁まで取ろうとしている有様だ。こんなこと書いて恥ずかしくないのか、俺。
生きているだけで偉いだ?あ?私を見て言うてみいよ。悔しくて、情けなくて、字に血が滲む。

頑張る、という言葉を使わずして目標に向かって進めたら一番いいんだろうな…。頑張るって必要以上に力が入るから。
完璧で、計画通りであろうとすると、不都合なことや想定外のことが起きた時に何も対処できない。「あ〜!はいはい、おしまい!!人生おしまいです!解散!!」とヤケになってしまうのがオチだ。

考え方変えればいいんじゃない?と母に言われたことがある。本当にその通り。これが答え。わかってるんだけどね…

途中式を!!!教えてくれ!!!そこが一番知りたい!!!!

勿論、その答えを母親に聞くのも間違ってる。絶対的に間違ってる。赤ちゃんじゃねんだぞ。はわわ…。


本当に、不器用な人間に育ってしまった。目標を立てても、真っ直ぐに進むことすらままならない現状に目を瞑りたくなる。
知らないうちに曲がってて、気づいたら後ろに進んでて、ゴールがどんどん遠のいていく。暫く地面に座り込む。そのゴールを目指すのが怖くなる。また別のゴールを設定した方がいいんじゃないかと揺らぐ。こうやって臆病な選択を繰り返して、一番楽な道を選んだ結果、詰みかける羽目になる。世知辛い。

やりたいことの目星はついてて、それを達成するまでのプロセスを考えると足がすくんでしまう。頑張るってこんなに怖いんだっけ?諦めることってなんで甘い蜜の香りがするんだっけ?そんでなんで後味ほろ苦いんだっけ?
生きるってこんなに難しいのになんで意外と続いていくんだっけ?ワカラナイヨー。

この一歩の勇気。無邪気に夢を追いかけていたころは迷いなく踏み出せた一歩。無知は幸福。
先のことを考えても結局答えは誰にもわからないから、とりあえず最初の一歩。その勢いのままもう一歩。それが結果失敗に終わっても、それは立派な経験値だし教訓だし、少なくとも美味しいお酒のお供くらいにはなるはずだ。
牛歩でも一歩であることには変わりないのよ。その勇気が尊いんだから。


長々とお気持ち表明と言い訳を書きましたが、これは他の誰に向けた文ではなく、御託ばっか並べて問題を先延ばしにしている馬鹿こと私への喝です。
こうやって人の目に触れる場所へ発信しないと、自己満足で終わってしまう自堕落な人間なんです。
かっこいい人は誰に言わずともやるじゃないですか。でも私はかっこ悪い人間なので、こうして形に残します。これ以上かっこ悪くならないようにやることやりますね…。強くなります。

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