見出し画像

noteを始める事に半年以上も躊躇したボクの情けない告白。

ボクには、
結構ドス黒くて、暗くて、情けなくて、認めたくなくて、隠したい、そして、それらがバレる事に怯える気持ちがある。

***

ボクは、3人の子どもがいるけれど、子どもと遊ぶのが苦手で、子どもへの声かけが苦手だ。

たぶん子ども達にとっても、遊んでくれる楽しいパパではなく、どっちかというと怒る印象の方が強い怖いパパではないかと思う。

だから、父としての至らなさを強く自覚する気持ちがある。

***

ボクは、妻に対して心を寄せる大切さをSNS等に書いたりしているくせに、実践できていない事が沢山ある。

外面ばかり良くしやがって、とは妻は言わないが、自分自身がそんな自分を見下している事がある。

だから、夫としての至らなさを自覚する気持ちがある。

***


ボクは、「noteを始めよう」と思ってから実際にnoteを始めるまでに、半年以上の時間を要した。

ボクは、「父としての気付きや、夫としての気付きをnoteに書こうかな」と思い立ってから、半年以上もの間、つまらない理由で踏み出せずに先送りにしていた。


ボクみたいな半端な奴が、半端な知識や経験を、実践できてもいないレベルの話を、人の目に触れる場所に書く資格があるのか?

ボクの自己満足に過ぎない言葉や文章を、誰かの目に触れる場所に書くことに、意味はあるのか?

ボクの自己満足に過ぎない言葉や文章で、読んだ誰かに、何かを感じて貰える事は、あるのか?

***

ボクが書ける事は、
もっと詳しく書いている人が既に沢山いて、
もっと分かりやすく書いている人が既に沢山いて、
もっと上手に纏めている人が、
もっと幅広く、
もっと深く、
もっと本質的に、
もっと汎用的に、
既に書いている誰かが沢山いて。

そんなボクが、今更、浅い経験と浅い知識で書いても良いのだろうか。


そんな気持ちが邪魔をして、始められなかった。


いや、まだ隠している。
まだカッコつけている。
書くことに、勇気がいる。


***


ボクは、自分が書いた事が、もっと詳しい人に、もっと深く書いている人に、もっと上手に書いている人達に、見られてしまったらと思うと、恥ずかしい。

ボクは、ボクよりももっと詳しく書いている人を、もっと深く書いている人を、もっと上手に書いている人達を、知っている人に見られるのが、恥ずかしい。

ボクよりも遥かに発信力があって、ボクより遥かに認められている人達がいいて、その方々が既に書いているような事を、何十倍も薄っぺらくしたようなモノを、拙い言葉と経験で、いまさら書いても十番煎じ、いや、百番煎じ、いや千番煎じでしかないのではないか?

***

ボクは、ボクが伝えたいことを、ボクよりも沢山すでに伝えている人達に見られる事が恥ずかしい。

そして、そんな方々に見られたらどうしようと思ってしまう。
どれだけ自意識過剰なの。

その自意識過剰さも恥ずかしいけれど、SNSで実際にリアクションを貰えたりすると、恥ずかしくなってしまう。

嬉しい気持ちもあるけれど、拙い自分が恥ずかしい。

***

そして、ボクより発信していて、認められている人たちを見ると、勝手に自分で比較して、情けなくなって、恥ずかしくなってしまう。

人と比較することに意味なんてない、と知っている筈なのに。

自己承認欲求に囚われている自分も、それがバレる事に怯えている事も、恥ずかしい。


そして。

フォローしてくれた人のプロフィールや、発信内容を見て、ボクより先を歩く人達を見て、

ボクは、嫉妬してしまうんだ。

嫉妬している自分がいるんだ。


情けない、恥ずかしい。

そう、嫉妬している自分を、認めることが、辛い。

でも、そんな情けない自分を認めてからじゃないと、先に行けないとも思う。


ボクは、ボクより素敵なパパさんに、憧れながら、多くの人に支持されているパパさんに、嫉妬している。

ボクは、ボクより素敵な旦那さんに、憧れながら、多くの人に支持されている旦那さんに、嫉妬している。


今も正に、「嫉妬している」の文字の前に「きっと」を入れようとしてしまう程に、この期に及んで少しでも誤魔化しを入れようとする程に。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。