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遺書No.152 The尊大ホテル。

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2004.12.5
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最近何かと耳にする『ホテル』。 

昨日の美術館の話に関連してかどうか知らないが、
今日は夕方に仕事が一息ついた時、
ふと、思ったことがあるので書こうと思ふ。

まずは昨日だが、

「美術館に行くとなぜかインテリぶった顔になってしまう」

そんなような事を書いた。

ちょっと似てるといえば似てるのだが、
そして今日思ったのは、ホテルの話だ。

だが、ただのホテルの話ではない。
いや「ただのホテル」がどういう定義かは分からないが、
いわゆる若輩者的男子が小娘を連れ込んで、
「休憩」などで利用しつつも全く休憩にならない、
そんな目的で作られたホテルではない、という事だ。

で、本題。

俺も今となっては(数年前から)、
いわゆる高級ホテルなんてものを利用する事ができるようになった。
(正確には、今は再び出来なくなっているかも・・・)

20歳前後の頃に「ホテル」といえば、
やはり低級ホテルである。

低級と言うと聞こえは悪いが、
いわゆる上記のホテルであったりする。

しかし、社会人としてある程度の経験を積み、
起業する程度の甲斐性を持つようになり、
ある種のステータスを得てからは、
ホテルといえばまず「高級ホテル」をさすようになった。

高級とは何が高級かって話だが、
いわゆる宿泊や飲食を目的とし、
ビジネスにも使えて、かつ、
プールなんぞに入る事もできるホテルである。

そこで、未熟者ゆえの発想で、思う訳だ。

「おいおい、俺も偉くなったもんだなぁ…」


これ。この殴りたくなるマインド。

もちろん、それ間違いだから。
何も偉くなってないから。
てゆか偉いってなんだよって話だよ。
冷静になれば分かるんだ。

ともあれ、若さゆえにね、
その辺のマインドの幼さはやむなしよ。

んで何が言いたぃのかと言うと、
ずばり、今日はここだ。

高級ホテルに入ると偉くなった気がする錯覚。

偉くなった気がするといっても、
別にふんぞり返るつもりはない。

いや、洗練されたコンセプトの元に備え付けられ、
美しくデザインされたホテルの調度品の中で、
どんと構えるソファにもたれ掛かる際は、
ちょっとふんぞり返ってもいるかも知れない。

が、それはまぁ沈み込む性能由来の事象であり、
マインドがもたらす行動ではないと信じる。

ただ、仕事なんかでね、
ホテルの入り口までタクシーを横付けし、
ホテルマンにドアを開けてもらって、
荷物まで運んで貰いつつフロントまで案内されようものなら、
なんとな~~く偉くなった気がする。

よね?

なんとなく、タクシーを降りた瞬間から、
自分がちょっと高尚な存在にランクアップしたかのような、
なんならちょっとビジュアルさえもが、
どことなく男前になったかのよな錯覚に襲われる。

普段は猫背でトボトボと歩くくせに、
ホテルのロビーを横切る時なんかは、
ついつい背筋をピンと張ったりなんかして、
物凄く颯爽と、機敏に歩いちゃったりする。

ホテルマンのうながしにも、
「うむ。」
なんてな感じで相槌をうったりなんかしちゃったりして。

でもって、気にする必要もないくせに、
チラと時計に目をやっては、
「うむ。急がねばな、次の仕事が控えている。」
てな感じを醸し出そうとしてしまったりもする。

美術館じゃないが、
必死に凛々しく見せようと背伸びしてしまい、
下手な演技がかった表情や仕草をしちゃったりして。

( ̄m ̄〃)ぷぷっ!

…もちろん、顔はいつもと変わり無く、
良くいって「ブス寄りの並」のくせにね。

さらに、フロントマンと会話する時なんかは、
顔のあちこちに不必要な力を入れ、
どことなく西洋人風の表情を作ろうとしちゃったりなんかもする。

全くおかしい。はなはだ愉快な人間である。


まぁ、高級ホテルを利用する多くの一般の人々は、
えてしてそんなもんだろう。

実際、高級ホテルのロビーで見かける日本人なんかは、
顕著にソレが見て取れる。

それは表情であったり、
足の組み方であったり、
どこかにコワバリがある。

このコワバリの原因は、察するに
「俺は高級ホテルに慣れてるゾ!別に緊張してなぃぞ!」
といった哀しい見栄からくるモノ
だと、
俺は思う。

その無言の主張が、
体に違和感というかぎこちなさを生んでるのではなぃか?

本当は低級人間なんだけど、
高級ホテルにいる時くらい高級人間に見られたい。
そんなつまらなぃ自尊心が間違って働くのである。

さらに一歩踏み込んでいえば、
文字通り部屋に入った瞬間である。

当然その「コワバリ」から解放されて、
いつもの低級人間に戻る訳だが、
すると途端に襲ってくるのが、
今度は「尊大」というヤツである。

この尊大と言う奴はなかなかに愉快だ。

高級ホテルの客室に入った殆どの人は、
まずコワバリの消えた顔で窓際に立ち、
外の景色を眺めたりする。

(まぁ、高級ホテルは景観もウリにしてたりするから、大抵眺めは良い。)

上着を脱いでネクタイをゆるめ、
外の眺めを確かめる。

すると人間や車が蟻のように小さく、
こまごまと見えたりする。
その空間だけやたらと時間の流れが、
ゆるやかに感じられたりするから不思議だ。

すると今度は、その蟻んこを見つめながら、
むらむらと「尊大」が湧き出してくるのだ。

「ふっふっふっ。どいつもこぃつもせせこましく働きおって。馬鹿め。」

なんてな具合に呟いてしまったりする。

本当は自分もそういう馬鹿の一人なのだが、
しばしその事を忘れて、
まるで地球の支配者にでもなったような錯覚を抱いてしまったりする。

全く持って、アホな生き物だ。

ふと、こんなことを思い出しては、
しみじみと考え込んでしまうみーくんでした。。

かしこ。


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2021.9.23
遺書を書き始めた当時152日目の投稿内容。
前日に続いて人の情けない部分をネタにした投稿。こんな事ばかりよく考えてたなぁ。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。